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いとう しりゅう伊藤 史隆
プロフィール
本名伊藤 史隆(いとう のぶたか)
出身地 日本 愛知県名古屋市
生年月日 (1962-10-25) 1962年10月25日(61歳)
最終学歴神戸大学経済学部
勤務局朝日放送テレビ
活動期間1985年 -
ジャンルスポーツ中継・報道(ニュースキャスター)・演芸
公式サイト ⇒アナウンサープロフィール 伊藤史隆
出演番組・活動
出演中プロ野球中継・高校野球中継・ゴルフ中継
『日曜落語 ?なみはや亭?』
出演経歴『ABCヤングリクエスト』
『桂三枝のにゅーすコロンブス』
『ようこそ!伊藤史隆です』
『キャスト』
『伊藤史隆のOn-site RADIO』
『伊藤史隆のラジオノオト』
『おはようコールABC』など
備考
2023年4月1日付で朝日放送テレビのシニアアナウンサーへ移行するとともに、神戸新開地・喜楽館の初代支配人へ就任。アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
伊藤 史隆(いとう しりゅう、1962年10月25日[1] - )は、朝日放送テレビ[2](ABCテレビ)のアナウンサー。
2023年3月31日付でABCの正社員定年(60歳)を迎えたが、翌4月1日以降は「シニアアナウンサー」(嘱託契約のアナウンサー)として在籍しながら、神戸新開地・喜楽館(上方落語における定席の1つ)で初代の支配人を務めている[3][4]。 愛知県名古屋市緑区[5]の出身。元来は左利きだが、日常生活では主に右手を使っている[6]。 名古屋市立桜台高等学校から、神戸大学経済学部へ進学。高校の同期生に歌人の穂村弘やプロゴルファーの塩谷育代、大学の同期生にノーベル賞受賞者の山中伸弥がいる。また、高校時代には天文部、大学時代には落語研究会に所属。落語研究会では、「拡益亭喜富
来歴・人物
大学卒業後の1985年に、岡元昇・中邨雄二とともに、アナウンサーとして朝日放送(当時)へ入社した。
本人の弁によれば、当初は特にアナウンサー志望というわけではなく、放送以外の業種の企業での採用も内定していた。しかし、自分から何の挑戦もしないまま内定を得たことで「マリッジブルーのような感覚」に陥ったところ、神戸大学の就職課で朝日放送アナウンサー職の求人票(若干名募集)を発見。その時点でアナウンスの本格的な経験や勉強を一切積んでいなかったにもかかわらず、前述の落語研究会で磨いた話術を頼りにアナウンサー試験へ「挑戦」したところ、岡元・中邨とともに採用された[7]。
伊藤の採用については、定期採用扱いで先に入社が決まっていた岡元・中邨と違って、当時朝日放送へ在籍していた長沢彰彦アナウンサーの英国放送協会(BBC)への出向に伴う欠員の補充を兼ねていた。伊藤自身は、このような社内事情を知らないまま、最終試験で試験官の乾浩明に向かって「採用されなかったら内定を受けた(前述の)企業に就職する」と公言。それでも「岡元や中邨とは毛色の違う人材も(アナウンサーに)欲しい」という上層部の意向で採用に至ったことから、入社の直後には、乾から直々に「(定期採用扱いの)岡元・中邨をドラフト会議での指名を受けて(朝日放送に)入ったプロ野球選手に例えるなら、(他業種の内定先での就職を公言するほど、アナウンサーへの志望動機が薄いにもかかわらず、『欠員補充』扱いで採用された)お前(当時の伊藤)はドラフト外同然で入ったようなものだ」と言われたという[8]。
朝日放送への入社後は、スポーツアナウンサーの先輩に当たる因田宏紀や、道上洋三による指導の下でアナウンス技術を研鑽。道上からは、前述した入社までの経緯を踏まえて、「『うまくなろう』と努力しなくてもいいから、他人の心に響くような表現力を磨きなさい」という金言を授かったという[9]。また、「リスナーとして訊いておきたいことを、当意即妙のタイミングで解説者に語らせている」という理由で、入社当時から上司の中村哲夫[9] や毎日放送の三宅定雄のような野球実況を目指していた。現在の妻と結婚した際には、因田夫妻が仲人として同席している。娘は京都産業大学に職員として勤務している[10]。
1985年10月から1年間は、道上・因田が新人アナウンサー時代に最初のパーソナリティを務めた『ABCヤングリクエスト』(朝日放送ラジオ)で、木曜日の最終パーソナリティを務めた。その後は、野球(プロ野球阪神戦や全国高校野球選手権大会)を中心に、ゴルフ(日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯)など、主にスポーツ中継で実況・リポーターを担当。1990年から1年半朝日放送テレビで放送された全国ネット番組『桂三枝のにゅーすコロンブス』では、キャスターを務めていた。
本名では名前の史隆を「のぶたか」と読ませるが、アナウンサーとしては朝日放送(旧法人)への入社直後からマイクネームに相当する扱いで音読みの「しりゅう」と名乗っている。奇しくも阪神では、1978年に「伊藤弘利」という氏名で入団した右投手が、1979年から1985年まで「伊藤宏光」を名乗った後に、1986年から登録名を「伊藤文隆」(いとう・ふみたか)に変更。