いとう かずたか
伊藤 一隆
生誕1859年4月15日(安政6年3月13日)
江戸
死没 (1929-01-05) 1929年1月5日(69歳没)
墓地青山霊園
出身校札幌農学校
職業北海道庁初代水産課課長、北水産教会初代会頭
配偶者富子
子供長女:あい(中川翔子の曾祖母)、2女恵子
親平野弥十郎(父)、とみ(母)
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伊藤 一隆(いとう かずたか、安政6年3月13日(1859年4月15日) - 昭和4年(1929年)1月5日)は日本の官吏、水産功労者。北海道庁初代水産課課長、北水協会初代会頭。北海道の水産業界の発展に尽力した。日本禁酒同盟の発起人のひとりで、副会長を務めた。旧姓は平野。幼名は徳松。
翻訳家・推理作家の松本恵子の実父。タレントの中川翔子は玄孫にあたる(中川の母方の祖母の祖父が伊藤である)[1][2]。
経歴札幌バンドの内村、新渡戸、広井、大島らと共にハリス宣教師の墓参り、伊藤は後列左
江戸(現在の東京都)に商人・土木請負人の平野弥十郎の四男として生まれる。15歳のころから“伊藤一隆”と名乗る。
明治9年(1876年)に、札幌農学校(現・北海道大学)の第1期生となった伊藤は、クラーク博士の宿舎でクラーク立ち合いのもと、同年7月21日に英国国教会(CMS)の宣教師ウォルター・デニングから洗礼を受ける[3][4]。
明治13年(1880年)に札幌農学校(現・北海道大学)第1期生として卒業、開拓使に採用された。北海道庁が発足すると初代水産課長に任ぜられた。
明治17年(1884年)に水産団体である北水協会を設立し、明治21年(1888年)には千歳にさけ・ます孵化場を設置している。
生涯の大半にわたって行政に携わり、北海道庁を退職するまでの間、北海道の水産業界の発展に尽力した。
家族・親族
平野家
(土佐国(現在の高知県)、東京都)
平野家の初代弥市は土佐国(現在の高知県)に生まれ、安永の頃(1772年?1780年)兄・藤兵衛と共に江戸(現在の東京都)に出た。藤兵衛は駒込の酒問屋「高崎屋」に奉公し、後に同家支配人になった。弥市は両国米沢町で生魚渡世ののち、文政11年(1828年)、薩州(薩摩藩)屋敷の仕立物用達