伊藤つかさ
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いとう つかさ
伊藤 つかさ
本名伊藤 つかさ
生年月日 (1967-02-21)
1967年2月21日(57歳)
出生地 日本東京都
血液型O型
職業女優
歌手
タレント
ナレーター
ジャンルアイドル歌謡曲
ポップス
J-POP
活動期間1973年(子役テレビ初出演)
1981年(歌手デビュー)
1984年(声優デビュー)
配偶者なし(離婚歴あり)
事務所劇団いろは( - 2005年)
カートプロモーション(2005年 - )
公式サイト ⇒伊藤つかさオフィシャルHP
主な作品
3年B組金八先生[1]
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伊藤 つかさ(いとう つかさ、1967年2月21日 - )は、日本女優。所属事務所カートプロモーション
人物・略歴

東京都渋谷区生まれ。世田谷区立東大原小学校(現世田谷区立下北沢小学校[2])、世田谷区立北沢中学校、私立駒沢学園女子高等学校トキワ松学園女子短期大学(現:横浜美術大学)卒業。独身(離婚歴あり)。小中学校時代は下北沢駅から数分のところに住んでいた。小学校時代は長野県で過ごした経験がある。

母の勧めで幼少期から「劇団いろは」に入団し、子役として主にテレビドラマに出演していた。

1980年、「3年B組金八先生」でクラスのアイドル的女子生徒・赤上近子役を演じた。

1981年9月1日に徳間ジャパンから「少女人形」でアイドル歌手としてデビュー。1980年代に一世を風靡した。八重歯がトレードマークであった[3]

その後は現代劇を中心にドラマに出演。時代劇にもレギュラー出演していた。

1984年にはレコード会社を徳間ジャパンからビクター音楽産業に移籍、1986年まで継続して音楽活動をした。その後は現代劇を中心にドラマに出演。時代劇にもレギュラー出演していた。1984年、叙情漫画家みつはしちかこ原作の「小さな恋のものがたり」でチッチ役としてラジオドラマやアニメで声優デビュー。

2002年、竹書房から発売された写真集でヘアヌードを披露(これが初のヌード)しファンに衝撃を与えた。

2006年7月31日、20年ぶりに歌手として復帰した[3]

2009年11月にビクター時代のシングル2作、2011年08月に徳間ジャパン時代のシングル5作がミュージックグリッドからMEG-CDで再発売された。

2010年3月、薬丸秀美荻野目洋子河合その子とともに資生堂の新CM発表会に登場し40代女性向け商品のPRを行った[4]

2012年4月18日、座・高円寺の舞台「裏の木戸は開いている」の稽古中に客席へ転落して足を骨折、全治2か月と診断され入院した。このため、同舞台は内容を一部変更して上演、6月出演予定の舞台「帰ってきた蛍?慟哭の詩?」を降板した[5][6]

2013年11月に徳間ジャパン時代、ビクター時代のオリジナル・アルバム6作(5枚目の『クレッシェンド』を除く[7])、2014年02月にライブ・アルバム1作がタワーレコード/ディスクユニオン限定で、デジタルリマスタリングした音源にアルバム未収録曲や未収録ヴァージョンなどをボーナストラックとして追加、歌詞カードにはシングル盤のジャケットなどを掲載し、再発売(内3枚は初CD化)された。
伊藤つかさの番組出演時間

伊藤つかさと労働基準法は切っても切れない縁がある。背景として法律上、芸能人を労働者とみなすべき存在であるか否かという議論があり、みなした場合には労働基準法の適用が行われ、15歳未満の者の20時以降(16歳から18歳までは22時以降)の労働は認められない。当時はまだこれに対する対処の手法が確立しておらず、テレビ局は手探りで自主規制として何時まで、また誰ランクまで許可すべきかを模索している段階であった。このためアイドル歌手としてデビューし、15歳未満で歌番組でのベストテン入りを果たした伊藤だったが、当時のベストテン番組は20時以降からの生放送番組だったため、この自主規制によって出演できなかったというエピソードがある。一例として『ザ・ベストテン(TBS系, 毎週木曜日21:00 - 21:54)』では本人に代わり等身大パネルを使用するという措置が執られた。後に伊藤自身はこの件に関して、極度のあがり症だったため、生放送の歌番組の出演には消極的で、辞退する口実として労働基準法を傘にしたと明かしている。後年そのことが大きな問題となり、若年アイドルの活動に大きな影響を与えたことについては、後悔しているという[8]
エピソード

1982年7月25日、
小田急電鉄がこの日運転した団体専用列車「?好(ニイハオ)つかさ号」(新宿駅 - 向ヶ丘遊園駅)で、一日車掌として乗務した。使用車両は3000形SE車であった。

フジテレビ系昼の帯番組『笑っていいとも!』(1982年10月-2014年3月)の名物コーナー「テレフォンショッキング」は、当時伊藤の大ファンであった司会のタモリが芸能界の交友関係を繋げていき、いつの日か伊藤をゲストに招くことを目的として企画されたものである。伊藤は放送3年目の1985年7月8日と1987年6月24日に同コーナーに出演を果たした[9]

元TBSプロデューサーの日向宏之によると、子役時代の伊藤は天才少女と呼ばれ、「大人の芝居が出来る子」だったという[10]。『結婚するまで』で田村正和の娘役を演じた時は、大人の役者の演技を先取りするようなことも多く、主演の秋吉久美子が「あの子に食われちゃってホントに困る」とぼやいていたという[10]

3年B組金八先生』で伊藤を起用した元TBSプロデューサーの柳井満によると、第二シリーズで伊藤が座った最前列の金八の真向いの席は、第一シリーズで土屋かおりが座った席でもあった[10]。柳井は後任も土屋のような可愛らしいイメージの少女を考えており、オーディションではその条件に合った伊藤がすんなり決まったという[10]。なお、伊藤は当時土屋と同じ劇団いろはに在籍しており、仲の良い間柄であった[11]

出演
テレビドラマ

木下恵介・人間の歌シリーズTBS

「それぞれの秋」(1973年)

「冬の貝殻」(1973年)


天下のおやじ(日本テレビ、1973年) - みよこ 役

連続テレビ小説 (NHK)

鳩子の海」(1974年4月 - 1975年4月)

心はいつもラムネ色」(1984年10月 - 1985年3月)


NHK大河ドラマNHK

勝海舟」(1974年)

黄金の日日」(1978年) - 少女 役

草燃える」(1979年) - 北条元子 役


バーディー大作戦 第33話「ジングルベルは殺しのテーマ」(TBS、1974年)

夜明けの刑事(1974年、TBS)

ライオン奥様劇場「妻の過去」(CX、1974年)

仮面ライダーアマゾン第11話「金色のカタツムリは死神の使い!?」 (MBS、1974年12月28日) - チサコ

右門捕物帖 第49話「秘密」 - おちよ役(1975年3月12日)


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