伊王
基本情報
建造所佐世保海軍工廠
運用者 大日本帝国海軍
第二復員省/復員庁
艦種海防艦(日本海軍)
特別輸送艦(第二復員省/復員庁)
級名鵜来型海防艦(1945年3月)
建造費6,391,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画マル戦計画
伊王(いおう)は、日本海軍の海防艦。鵜来型海防艦の22番艦。艦名は長崎県にある伊王島にちなむ。太平洋戦争を生き延びて戦後は復員輸送に従事した。伊王はローマ字表記(英語表記)にした場合「Io」と僅か2文字であるため、球磨型軽巡洋艦の大井と並び、艦名としては世界一短いものだとされている[1][2]。 マル戦計画
艦歴
起工-竣工-訓練
4月23日、伊王は海防艦保高と共に舞鶴に到着。24日、2隻は舞鶴を出港し、七尾に回航。付近の海上にて対潜水艦を主体とした諸訓練を実施。
5月5日、伊王は舞鶴鎮守府部隊第五十一戦隊に編入された。6月1日、伊王は七尾を出港。3日、大湊警備府部隊に編入された。 1945年(昭和20年)6月4日、伊王は大湊に到着。5日に出港し、北海道南方沖で対潜哨戒にあたる。8日、津軽海峡で輸送船団と合流し、小樽、船川を経由した後大湊へ回航された。12日、伊王は大湊を出港して横浜へ向かう特設運送艦第1雲洋丸(中村汽船、2,042トン)他からなる輸送船団を途中まで護衛した後、大湊に戻った。21日、大湊を出港し船団護衛にあたり、船川、小樽を経由して7月5日に大湊に到着。伊王は8日に出港した後対潜哨戒にあたり、10日に八戸に到着。14日に出港して大湊に向かうが、出港後すぐにアメリカ海軍の第38任務部隊(司令官:ジョン・S・マケイン・シニア中将[3])の空襲を受ける。この空襲で機銃掃射を受けたため船体が小破し、乗員4名が戦死し61名が負傷する被害を出した。同日1600、大湊に到着。8月1日、連合艦隊第十二航空艦隊第百四戦隊に編入。 9日、護衛する予定だった敷設艦常盤、特設敷設艦高栄丸(大同海運、6,774トン)、特設運送艦千歳丸(日本郵船、2,668トン)からなる機雷敷設艦部隊が大湊空襲に遭遇し常磐が被弾擱座してしまった。10日、残された2隻を護衛して大湊を出港し、14日に稚内に到着。宗谷海峡の機雷敷設作業の護衛のため待機中の15日に終戦を迎えた。 8月11日、ソ連の侵攻により樺太の戦い (1945年)が始まった。
海軍艦艇