いとう きぬこ
伊東 絹子1953年
プロフィール
生年月日1932年6月29日
没年月日2023年2月14日
没年齢90歳(数え92)
出身地 日本 東京府東京市芝区(現:東京都港区)
死没地 日本 東京都
瞳の色ブラック
毛髪の色ブラック
公称サイズ(1953年[1]時点)
身長 / 体重164 cm / 52 kg
BMI19.3
スリーサイズ86 - 56 - 92 cm
備考上記は世界大会の数値。日本大会主催者発表では164cm 54kg 90-60-92cm[2]
単位系換算
身長 / 体重5′ 5″ / 115 lb
スリーサイズ34 - 22 - 36 in
活動
デビュー1951年
ジャンルファッション
モデル内容一般・下着
備考ミス・ユニバース1953 第3位入賞
他の活動女優・洋装店経営
事務所エフ・エム・ジー
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伊東 絹子(いとう きぬこ、1932年6月29日 - 2023年2月14日)は、日本のファッションモデル・女優。1953年(昭和28年)のミス・ユニバース・ジャパンで、同年アメリカ合衆国カリフォルニア州のロングビーチで開催された第2回世界大会(ミス・ユニバース1953)では第3位入賞。 ミス・ユニバース世界大会への日本代表としての出場は、前年の小島日女子に続いて二人目であり、伊東は日本人初の入賞者となった。またアジア人としても前年第4位に入賞した香港代表ジュディ・ダンの順位を上回った。受賞の様子 伊東は日本におけるファッションモデルの先がけのひとりとも言われ、ミス・ユニバースに入賞した昭和28年には、伊東の体形に因んだ『八頭身美人』が流行語となった[3]。小林製薬の冷蔵庫用脱臭消臭剤「キムコ」は「キヌコ」をもじったもの[4]。 1932年(昭和7年)、東京府東京市芝区(現・東京都港区芝)に生まれる。東京都立鷺宮高等学校卒業[5]。虎ノ門タイピスト学院英文科卒業とする資料もある[6]。 高校卒業後、自動車会社の事務員として働く。1951年(昭和26年)、 『英文毎日』(毎日新聞社)が開催したファッションコンテストに応募。東京から20名、大阪から15名の合格者のひとりとなる。「毎日ファッション・ガール」[7]の第一期生である。和江商事(のちのワコール)の下着ショーに出たこともある[8]。毎日ファッション・ガールの第一期生に、相島政子・岩間敬子・ヘレン=ヒギンス・香山佳子・井村はるみなどがいたが、1953年(昭和28年)5月31日、ミス・ユニバースの地方予選「ミス東京」に伊東・岩間・ヘレンが参加している。伊東は「木村ヨウ子」という変名で応募。伊東が優勝して全国大会に駒を進める[9]。 同年、帝国劇場(東京都千代田区丸の内)で開かれた[10]全国大会で児島明子らを抑えて[11]第2代目のミス・ユニバース・ジャパンに選ばれる。
人物
経歴