伊方原発訴訟
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最高裁判所判例
事件名伊方発電所原子炉設置許可処分取消
事件番号昭和60(行ツ)133
?1992年(平成4年)10月29日
判例集 ⇒民集46巻7号1174頁
裁判要旨

原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであつて、現在の科学技術水準に照らし、調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、判断に不合理な点があるものとして、判断に基づく原子炉設置許可処分は違法と解すべきである。

原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟においては、判断に不合理な点があることの主張、立証責任は、本来、原告が負うべきものであるが、行政庁の側において、まず、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議において用いられた具体的審査基準並びに調査審議及び科断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があり、行政庁が右主張、立証を尽くさない場合には、行政庁がした右判断に不合理な点があることが事実上推認される。

第一小法廷
裁判長小野幹雄
陪席裁判官大堀誠一橋元四郎平味村治三好達
意見
多数意見全員一致
意見なし
反対意見なし
参照法条
核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(昭和52年法律第80号による改正前のもの)23条,核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(昭和52年法律第80号による改正前のもの)24条,行政事件訴訟法30条,民訴法185条
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伊方原発訴訟(いかたげんぱつそしょう)とは、1973年から2000年にかけて、四国電力伊方発電所(伊方原子力発電所。以下「伊方原発」と表記)の安全性をめぐって争われ、建設に反対する住民側の敗訴に終わった行政訴訟である。この訴訟によって、日本の原子力発電所の安全神話が出来上がったが、東日本大震災後の2011年末に再び訴訟が起こされ、2016年現在係争中である。
目次

1 1973年から2000年までの訴訟

1.1 関係者


2 2011年からの訴訟

3 脚注

3.1 注釈

3.2 出典


4 関連資料

5 関連項目

1973年から2000年までの訴訟

愛媛県西宇和郡伊方町では、半農半漁で過疎に悩んでおり、積極的な原発誘致運動を展開した。地元の漁業協同組合漁業権を放棄し、漁業補償を得た[要出典]。こうして、伊方原発の1号機は1972年(昭和47年)11月に原子炉設置許可を受けて、1977年(昭和52年)9月に運転を開始し、2号機は1977年3月に許可、1982年3月に運転を開始した。

一方で、1973年(昭和48年)8月、伊方原発1号機の周辺住民35人が、設置許可処分の取り消しを求めて松山地方裁判所に訴えを提起(1号機訴訟)し、設置許可の際、原子炉等規制法に基づいて行われた国の安全審査が不十分だと訴えた。日本初の原発訴訟で、行政処分の取消しの訴えにおける原告適格や原告の住所地での土地管轄(裁判の開催)が認められ、以後各地で同様の原発訴訟が提起されることとなった[1]。町は賛成派と反対派に二分された。なおこの訴訟では、提訴以来、現地踏査や証人尋問に携わってきた判事が中途で異動している[要出典]。

1号機訴訟について、1978年(昭和53年)4月、請求棄却判決、また、原発建設の決定権は国に属するとの判断が下された。原告は高松高等裁判所控訴1984年(昭和59年)12月14日、控訴棄却判決。原告は上告するも、1992年平成4年)10月29日に最高裁は上告を棄却。1号機訴訟は原告敗訴が確定した。[1][2]

1号機訴訟の一審が棄却された直後の1978年6月9日には、住民33人(のち提訴取り下げや死亡で21人になった)が2号機増設許可取り消しを提訴(2号機訴訟)。訴えは1号機訴訟とほぼ同じだが、航空機墜落の危険性や、1996年(平成8年)に原子力発電所沖の活断層中央構造線断層帯)[注釈 1]が最大マグニチュード7.6の地震を起こす可能性があると判明したが、この活断層に対する国の事前の安全審査が不十分、といった新しい争点が加わった。

2000年(平成12年)12月15日、松山地方裁判所は住民の請求を棄却する判決を言い渡した。豊永多門裁判長は判決理由で、原告側が「国の見落とし」を指摘していた活断層の評価について「結果的に誤りであった」と、同様の訴訟では初めて国の安全審査の問題点に言及する一方で、設置許可に違法性はなく、航空機直撃の可能性も否定した。この判決に対し原告住民からの控訴はなく、判決が確定した[1][3][4][5]
関係者

この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年4月)

(原告)

藤田一良(弁護団長)

森滝市郎(支援者)

藤本陽一(早稲田大学)

(被告側証人)

三島良績

大崎順彦

村主進(日本原子力研究所)

内田秀雄(東京大学)

佐藤一男(日本原子力研究所)

2011年からの訴訟 伊方町、道の駅伊方きらら館の屋上から見える伊方原発

2011年(平成23年)12月8日、伊方原発1-3号機の運転差し止めを求める新たな訴訟が松山地裁にて起こされた[6]。「伊方原発をとめる会」などを中心に、300人が提訴し[7]2012年(平成24年)3月には322人が2次提訴を行った。2012年5月の第1回口頭弁論で原告側は、2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故のような大地震に起因する事故が伊方原発でも起きうると主張した[8]。その後、2013年(平成25年)8月には22都道府県の380人が3次提訴を[9]2014年(平成26年)6月には23都道府県の336人が4次提訴を行った。原告は合計1338人となり、四国内の全市町村から原告が出ており、広島県からは四国各県以外では最多の126人が原告となった[10]。3次訴訟の原告には、早坂暁(作家)、片山恭一(作家)、宇都宮健児(弁護士)といった四国出身の著名人も含まれている[9]。2016年4月現在係争中である。

松山地裁での訴訟とは別に、2016年(平成28年)3月11日、広島地方裁判所にて伊方原発1-3号機の運転差し止めを求める訴訟が起こされた。原告は、広島県・長崎県被爆者18人や福島県から広島県に避難している人など9都府県の67人で、そのうち3人は、再稼働の手続きが進められている3号機の再稼働差し止めの仮処分申請も申し立てた。原告側は、南海トラフ巨大地震の発生により伊方原発に万一の事態が起きた際、瀬戸内海広島市でも放射性物質による被曝のおそれがあると訴えている[11][12]
脚注
注釈

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^ 中央構造線#地震活動との関連も参照。


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