伊敷
? 町丁 ?
鹿児島市役所伊敷支所
伊敷
座標: 北緯31度37分4秒 東経130度31分33秒 / 北緯31.61778度 東経130.52583度 / 31.61778; 130.52583
国 日本
都道府県鹿児島県
市町村鹿児島市
地域伊敷地域
人口 (2009年(平成21年)9月末現在)
- 計8,624人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号890-0008(一丁目から八丁目)
891-1203(伊敷町の一部)
890-0003(その他)
伊敷(いしき Ishiki)は鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在上伊敷村、鹿児島郡伊敷村大字上伊敷。伊敷一丁目から伊敷八丁目及び伊敷町があり、伊敷一丁目から伊敷八丁目の全域では住居表示を実施している。人口は8,624人、世帯数3,868世帯(2009年9月末現在)[1]。郵便番号は伊敷は一丁目から伊敷八丁目まで全て890-0008、伊敷町は4710?4741及び4747?4761-3は891-1203、その他は890-0003。 鹿児島市の中北部、甲突川の中流域に位置している。町域の北方には皆与志町、花野光ヶ丘、南方には小野、小野町、下伊敷、西方には犬迫町、東方には岡之原町、西伊敷、千年、下田町、伊敷台がそれぞれ隣接している。 町域の中央部を甲突川が南北に流れており、それに沿って国道3号が通っている。また北東部から南西部を九州自動車道が通り、鹿児島北インターチェンジが所在している。福岡方面と指宿方面の出入り口は甲突川を挟んで反対側にあり、国道3号と指宿側出入り口を結ぶ鹿児島県道18号鹿児島北インター線が通る。 町域内には1961年(昭和36年)に鹿児島市電伊敷線のうち下伊敷電停?上伊敷電停間が開通し、上伊敷電停が設置され、1962年(昭和37年)に伊敷町電停に改称された。1985年(昭和60年)に伊敷線の全線が廃止されたのに伴い[2]、上伊敷電停も廃止となり町域内から駅(電停)は消滅した。 上伊敷村という地名は南北朝期より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった。正平13年の島津氏久宛行状に「鹿児島郡内上伊敷村地頭職」と見えるのが上伊敷の地名の初見であると考えられており、この宛行状により山田忠経に宛がわれた。同年には上伊敷村及び下田村(現在の下田町)の地頭職が山田忠経に宛がわれた[3]。 江戸期には鹿児島郡鹿児島近在のうちの上伊敷村となり、村高は「天保郷帳」では1,886石余、「旧高旧領」では1,820石余であった。村内の仮屋には藩の役所が置かれた[3]。 甲突川には文化年間に切石を積み上げた、石堰(石井手用水)が作られ近隣の村に灌漑用水として供給していた[4]。 1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、鹿児島近在のうち上伊敷村をはじめとする8村の区域より伊敷村が成立し、江戸期の上伊敷村は伊敷村の大字「上伊敷」となった。1950年(昭和25年)には伊敷村が鹿児島市に編入され、上伊敷は鹿児島市の町名「伊敷町」に改称した[3]。
目次
1 地理
1.1 河川
2 歴史
2.1 中世の上伊敷村
2.2 近世
2.3 町村制施行以降
2.4 町域の変遷
3 施設
4 世帯数・人口
5 小・中学校の学区
6 交通
6.1 道路
7 出身著名人
8 脚注
9 関連項目
地理
河川
甲突川
歴史
中世の上伊敷村
近世
町村制施行以降
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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