伊太於(イタオ、生没年不詳)は、熊本県玉名郡和水町(旧菊水町)にある前方後円墳・江田船山古墳から出土した鉄刀の作刀者[1]。「伊太加」(イタカ)、「伊太和」(イタワ)とも。釈読江田船山古墳で出土した鉄剣の銘文に、「作刀者名伊太口,書者張安也」とある。西山要一は、「伊太加」としている[2]。武光誠、盧重国は、「伊太於」としている[3][4]。吉村武彦の従来の見解は、「伊太加」、クリーニングやX線透過撮影などの再調査に基づく新釈読は「伊太和」[5]。
江田船山古墳で出土した鉄剣の銘文に、「作刀者名伊太口,書者張安也」とある。西山要一
伊太於(伊太加、伊太和)は鉄刀を作り、張安は銘文を書いた。伊太於(伊太加、伊太和)はその名前からみて倭人である。銘文を書いた張安は中国式の名前なので、百済に帰化していた中国人とみられる[4][6]。脚注^ 朝日日本歴史人物事典