この項目では、滋賀県・岐阜県境の伊吹山について説明しています。栃木県の伊吹山については「伊吹山 (栃木県)」をご覧ください。
伊吹山
滋賀県米原市・長浜市境からの眺め(2022年8月7日)
標高1,377.31[1] m
所在地 日本
滋賀県米原市
岐阜県揖斐郡揖斐川町、不破郡関ケ原町
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度25分04秒 東経136度24分23秒 / 北緯35.41778度 東経136.40639度 / 35.41778; 136.40639
伊吹山(いぶきやま〈または『いぶきさん』とも読む〉[3])は、滋賀県米原市並びに、岐阜県揖斐郡揖斐川町、不破郡関ケ原町を中心にまたがる伊吹山地の主峰(最高峰)標高1,377 mの山である[4]。一等三角点が置かれている山頂部は滋賀県米原市に属し[1]、滋賀県最高峰の山であり、山域は琵琶湖国定公園に指定されている[5]。
概要山頂の日本武尊の石像
古くから霊峰とされ、『古事記』、『日本書紀』においてはヤマトタケルが東征の帰途に伊吹山の神を倒そうとして返り討ちにあったとする神話が残されている[6]。日本百名山[7]、新・花の百名山[8]、一等三角点百名山[9]、関西百名山[10]、近畿百名山、ぎふ百山[11]の1つに選定されている。滋賀県、岐阜県、愛知県、三重県の多くの学校の校歌で「伊吹山」に関する語句が歌われている[12][注釈 1][13]。 『日本書紀』では「五十葺山」[6]、『古事記』では「伊服阜能山」と記されている[14][15]。ほかにも「伊吹山」や「伊吹」の別表記として「膽吹山[3]」「伊服阜山[3]」「伊夫阜山[3]」「伊福貴[16]」「異吹[16]」「伊布貴[16]」「伊夫伎[16]」などがある。また、かつて修験道においては「大乗峰」と呼ばれていた[4]。 「伊吹山」は一般的に「いぶきやま」と読まれ、国土地理院に登録されている山名も同様であるが、一部では「いぶきさん」とも呼ばれる[3]。滋賀県内では伊吹山に近い地域(米原市旧伊吹町など)では「いぶきやま」、伊吹山から遠い地域になるほど「いぶきさん」と呼ぶ傾向があるとされ[17]、美濃(岐阜県南部)・尾張(愛知県西部)方面でも「いぶきさん」と呼ばれることがある[18]。 古くから神が宿る山として信仰の対象であった。室町時代後期には織田信長により、山上に野草園が造られたとされている[7]。明治以降に近代登山の対象となった[19]。大正には中山再次郎により、関西におけるスキーの山として注目されるようになった[19]。1964年(昭和39年)に深田久弥により日本百名山に選定されると、百名山ブームもあり全国的に登山対象の山として知名度も高まった[19]。1965年(昭和40年)に伊吹山ドライブウェイが開通すると、9合目まで容易に上がれるようになり山頂部は観光地化した。 伊吹2神の神階年伊夫伎神社 伊吹山の神は「伊吹大明神」とも呼ばれ、『古事記』では「牛のような大きな白猪」、『日本書紀』では「大蛇」とされていた[20]。『古事記』にはヤマトタケルがこの伊吹大明神と戦って敗れる物語がある。伊吹山の神に苦しめられて敗れたヤマトタケルは病に冒されて山を下り、居醒の泉(米原市醒井の平成の名水百選の1つに選定されている「居醒の清水」[21])で少し回復したものの、のちに悪化して亡くなったとする伝説が伝えられている[22][23]。
山名
人間史山頂の伊吹山寺山頂本堂、その左に伊吹山之神「白猪」の像
伊吹神の信仰
(近江国坂田郡)伊富岐神社
(美濃国不破郡)
850年従五位下
852年官社指定
859年従五位下
→従五位上
865年従五位下
→従四位下
877年正四位下
→従三位従四位下
→従四位上
神名帳小小
一宮制美濃国二宮