伊勢音頭恋寝刃
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『伊勢音頭恋寝刃』(いせおんどこいのねたば、伊勢音頭恋寝釼とも[1])とは、歌舞伎の演目のひとつ。全四幕。寛政8年(1796年)7月、大坂角の芝居にて初演。近松徳三ほか作。通称『伊勢音頭』。また歌舞伎から人形浄瑠璃にもなっており、同名の外題で上演されている。別題『伊勢?恋湊』(いせおんどこいのみなと)[2]
あらすじ
序幕『伊勢参宮名所図会』(寛政9年刊行)巻之四より「間の山」(相の山)の図。ここでは当時、お杉、お玉と呼ばれる女芸人たちが図のように小屋掛けで三味線を弾き、間の山節を唄うことがあった。このお杉とお玉は『伊勢音頭恋寝刃』の序幕「相の山」にも幕開きに登場している。

(相の山の場)阿波の大名家の家老今田九郎右衛門の息子万次郎は、主家より名刀といわれる青江下坂の刀を求めて献上するようにとの命を受けていた。その刀をさらに将軍家へ献上するためである。青江下坂の刀を万次郎は伊勢で見つけ、一旦はこれを買い取ったが、若いこととて伊勢の遊郭で遊んでしまい、その掛かりに刀をふたたび質に手放してしまった。

そうして万次郎は、今日も伊勢神宮近くの参詣道である相の山で家来の横山大蔵と桑原丈四郎、馴染みの遊女お岸や仲居幇間など連れ、伊勢参詣を口実に遊山の途中である。伊勢の神領を治める代官で万次郎の叔父である藤浪左膳が現れ、刀のことを忘れて遊ぶ万次郎の身持ちを諌める。

左膳はその場を去り、万次郎は奴の林平とともに刀を取り戻す思案に暮れる。青江下坂の刀を質にして金を借りた胴脈の金兵衛という男は、刀を持って姿を消したと聞いていたからである。そこにその青江下坂の刀を持った御師と、さらにそれを所望だという侍が通りかかる。それを見た万次郎と林平は刀をこちらに譲るよう御師と侍に頼む。だがその刀は青江下坂ではなかった。侍は偽物を売りつけようとした御師に怒り責め、万次郎たちは致し方なくその場を去った。

二人きりになった御師と侍。そこへ大蔵と丈四郎が来て、「岩次どの、首尾はどうじゃ」と声をかける。侍は「まんまと折紙はすりかえて、この通りじゃ」と懐中より青江下坂の折紙(鑑定書)を出して見せた。侍は万次郎から、どさくさにまぎれて折紙を偽物とすりかえていた。

(妙見町宿屋の場)ここは伊勢山田妙見町にある宿屋である。藤浪左膳はここに供も連れずひとりで訪れ、御師の福岡貢の帰りを待っていた。

福岡貢が宿に帰ってきた。貢は左膳の使いにより、万次郎の父九郎右衛門のもとへ行っていた。九郎右衛門は国許を出て鎌倉へと向う途中である。のあたりを行く途中の九郎右衛門に貢は左膳からの書状を渡し、その返書と伝言を預かっていた。貢は左膳に九郎右衛門からの書状を渡し、その言葉を伝えた。だが貢は、九郎右衛門から「願い叶わずば、再び国へは帰らぬ心底」と聞いて不穏なものを感じ、それについて左膳に問う。すると左膳は次のように貢に語った。

今阿波の家中ではお家騒動が起こっており、当主の伯父に当る大学がお家を乗っ取ろうしている。そこで九郎右衛門が鎌倉に下り、大学を押し込め隠居にしてくれるよう願いに行っているのである。九郎右衛門のせがれ万次郎は、大事な刀を遊興の質に入れてしまうような不所存者だが、これを貢が匿い、首尾よく刀を取り戻し帰国させてくれるよう貢に左膳は頼む。貢の親は九郎右衛門のもと家来で、貢は幼少のときに鳥羽に移り住み、今は御師福岡孫太夫の養子となっている。また左膳の妹も九郎右衛門の妻であり、そうした縁からも貢は左膳の頼みを快く引き受けるのだった。

そこに万次郎と林平が来て話に加わる。だが万次郎の所持していた折紙が偽物とすりかえられていたことが発覚する。左膳は、九郎右衛門より大学の家来である徳島岩次という者が当地に入り込んだと聞いていた。察するところその折紙を奪ったというのは徳島岩次の一味であり、刀と折紙の紛失を理由に万次郎を罪に落とし、親の九郎右衛門もそれにより蟄居させようという企みに違いないと話す。皆は林平を残して奥へと入った。

それまでの話を岩次の一味である大蔵、丈四郎が聞いていた。同じく一味の角太郎も出てきて、岩次宛ての大学の書状を大蔵に渡す。この上はあるじ大学にとって邪魔な左膳を殺そうと奥へ忍び入り、大蔵は岩次へ書状を届けに行こうとする。だが大蔵たちの様子を隠れて伺っていた林平がその前を立ちはだかり、書状を奪おうとし、書状は千切れて半分が林平の手に残った。奥より貢と万次郎が出て、貢の住まい二見村へと行く。万次郎たちと行き違いになった林平は書状を左膳に見せ、左膳はそれを万次郎に届けるよう命じると、林平は大急ぎで万次郎たちを追いかけるため走り去る。「二見が浦」 三代目中村歌右衛門の福岡みつぎ。文化10年(1813年)3月、大坂中の芝居芦麿画。

(二見が浦の場)すでに夜、二見が浦の浜沿いを万次郎と貢のふたりは、提灯の明かりを頼りに歩む。そこへ大蔵が大慌てで走り、貢とぶつかる。万次郎は大蔵を見てびっくり、大蔵も万次郎を見てびっくりし、一散に走り去る。林平が追いつき、万次郎たちに最前の書状の半分を渡す。大蔵と丈四郎もその場にあらわれ、暗い中で書状の奪い合いと斬り合いが始まるが、最後は林平が万次郎の手を引いてその場を逃れ、貢が大蔵より書状の残りも手に入れると夜が明けるのだった。
二幕目

(大々講の場)御師福岡孫太夫の家では、講中が集まって大々神楽を催している最中である。孫太夫は左膳の指示により、九郎右衛門と同じく鎌倉へと向っており、今は弟の猿田彦太夫とその甥の正直正太夫が留守を預かっている。孫太夫の一人娘である榊は養子に迎えた貢のことを憎からず思っており、孫太夫もいずれ貢を榊と祝言させ家を継がせるつもりだったが、そんな榊に正太夫は岡惚れしている。

太々神楽が終り御師や講中の人々がいなくなったあと、貢とは馴染みになっている伊勢古市の遊女油屋のお紺が姿をやつして訪れ、貢と話をする。油屋の仲居万野が自分と田舎の客との縁を取り持ち、その客にお紺を身請けさせようとしており、貢に惚れているお紺はそれを嫌がっている。しかしその田舎の客が阿波の侍で「岩」と呼ばれていると聞いた貢はもしや徳島岩次か…と疑うが、お紺の話では、その侍は左膳より聞いた岩次の人相とは異なり別人のようだ。彦太夫はお紺を見て誰かといぶかるが、貢はこれは自分の叔母だとごまかし、ふたりは一間のうちに入る。

彦太夫と正太夫はじつは大学の側に与し、養子の貢もこの家から追い出して福岡家を乗っ取ろうと企んでいた。またお紺が叔母ではないことが露見するが、そこへ貢を尋ねに伯母のおみねが来ていた。おみねは事情を察し、お紺を歳の離れた妹だと話すので、彦太夫と正太夫はそれ以上の追及はできず奥へ引っ込む。おみねは自分が持っていた刀を貢に渡す。それは貢たちが尋ね求める青江下坂の刀であった。おみねは、青江下坂の刀が貢の家にとっては因縁のある刀であり、貢の祖父青井刑部は人を斬り切腹、貢の父もそれによって主家より暇乞いをし鳥羽に移り住むようになったと語り、また貢がもと主筋に当る今田家のためにこの刀を探していると聞いたので、自分が買い求め持ってきたのだという。貢はおみねの志に感謝する。

そんなところに胴脈の金兵衛が来た。聞けば青江下坂の刀をおみねに渡したが、その代金百両をまだ受け取っていないという。早く百両を渡せと悪態をつく金兵衛。さらにそこへ彦太夫が、講中より受け取った百両の金がないと騒ぎ立て、正太夫は貢が百両を盗んだ犯人と言いがかりをつけ金を出せと、貢を責める。見かねたおみねは、青江下坂の刀を彦太夫に差し出した。これを紛失した百両の代わりにし、この場を収めてくれるよう頼んだのである。彦太夫と正太夫は徳島岩次がこの刀を探していると聞いていたので、いったんはおみねのいうことを聞いて刀を受け取る。

ところがおみねが神棚の御祓箱を持っていこうとすると、中より小判百両が出てきた。彦太夫と正太夫が貢に罪を着せるため隠していたのである。これに焦る彦太夫と正太夫、おみねは百両が出てきたので刀を返すよう彦太夫に迫る。彦太夫は拒否するが、今度は貢に味方する榊が、正太夫の落とした密書をみなの前に出す。それは岩次が正太夫に宛てたもの。その内容により大学や岩次と通じていたことが露見し、途方にくれた彦太夫と正太夫は、致し方なくおみねに刀を返さざるを得なかった。さらに貢は百両を彦太夫より得、それを渡された金兵衛は帰る。


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