この項目では、戦国武将について説明しています。北東方面艦隊機関長などを歴任した海軍軍人については「伊勢貞良 (海軍軍人)
」をご覧ください。 凡例伊勢貞良
時代戦国時代
生誕不詳
死没永禄5年9月11日(1562年10月8日)
改名小法師、十郎
戒名紹良賢叟建光院
官位兵庫頭
幕府室町幕府
主君義輝
氏族伊勢氏
父母父:伊勢貞孝
妻斎藤道三の娘
子貞為、貞興、女(池田元助室)
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伊勢 貞良(いせ さだよし)は、戦国時代の武将。室町幕府の幕臣。 伊勢氏は代々、室町幕府の政所執事を務め、幕府の財政管理と訴訟を担う家系であった。 しかし、永禄5年(1562年)3月に六角義賢が京都に侵攻した時に(将軍地蔵山の戦い)、父の貞孝はそのまま政務を行ったことが足利義輝と三好長慶の怒りを買い、6月に義輝・長慶が京都を奪回すると貞孝は更迭された。貞孝は京都船岡山で挙兵したが敗れ、同年9月11日、貞良は父の貞孝と共に戦死した[1]。 貞良の子の貞為、貞興は幼年であったため家臣と共に若狭武田氏を頼り小浜城に逃れた[1]。
生涯
脚注^ a b 堀田 1923, p. 660.
参考文献
堀田正敦『国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重脩諸家譜 第3輯』國民圖書、1923年、660頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082714/339
関連項目
蜷川氏
多羅尾氏
六角氏