伊勢貞国
[Wikipedia|▼Menu]

 凡例伊勢貞国
華開院所蔵
時代室町時代中期
生誕応永5年(1398年
死没享徳3年5月27日1454年6月23日
別名貞慶
幕府室町幕府政所執事
主君足利義教義勝義政
氏族伊勢氏
父母父:伊勢貞行伊勢貞経とも)
母:信州木曾の娘
兄弟貞経、貞国
蜷川親俊
貞親貞藤、娘(伊勢盛定室)、娘(日野勝光[1]
テンプレートを表示

伊勢 貞国(いせ さだくに)は、室町時代室町幕府政所執事。諱は貞慶とも。父は伊勢貞行(兄とされる伊勢貞経とも)[2]、母は信州木曾の娘。兄の貞経の養嗣子となった。子に貞親貞藤、娘(伊勢盛定室)。外孫に北川殿今川義忠室)、伊勢宗瑞(北条早雲)。
生涯

永享3年(1431年)に兄貞経が6代将軍足利義教によって失脚させられると、後を継いで政所執事となった。

永享6年(1434年2月9日、義教の嫡男義勝が生まれると、3月3日に義勝を屋敷に移した。

嘉吉元年(1441年6月24日嘉吉の変で義教が殺害され、26日に7代将軍となった義勝が室町殿に移されるまで義勝を預かっていた。

また、幼少の義勝に代わり政治を取り仕切る管領細川持之を支持、文安5年(1448年)に細川持常と共に赤松則尚の復帰を8代将軍足利義政に取り次いだりもしている。

宝徳元年(1449年)、政所執事を辞任。

享徳3年(1454年)5月27日、死去。
参考文献

石田晴男
『戦争の日本史9 応仁・文明の乱』吉川弘文館、2008年。

脚注[脚注の使い方]^ 今泉定介編『尊卑文脈[1]』(吉川弘文館、1899年)
^ 三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典』上田正昭ほか監修(第5版)、三省堂、2009年、110頁。 










室町幕府政所執事


二階堂時綱1333

長井広秀1334

二階堂行朝1335

二階堂行直1340

二階堂時綱1346

粟飯原清胤1348

二階堂行朝1349

佐々木道誉1349

二階堂行通1351

佐々木道誉1352

粟飯原清胤1353

二階堂政元1354

佐々木道誉1354

二階堂行元1368-1379

伊勢貞継1379-1391

伊勢貞行1393-1410

伊勢貞経1410-1431

伊勢貞国1431-1449

二階堂忠行1449-1459

伊勢貞親1460-1466

伊勢貞宗1466-1468

伊勢貞親1468-1471

伊勢貞宗1471-1490

伊勢貞陸1490-1520

伊勢貞忠1521-1535

伊勢貞孝1535-1562

摂津晴門1562-1571

伊勢貞興1571


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:7817 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef