伊勢航空基地
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旧伊勢航空基地。左側が格納庫、右側が庁舎、後が自衛隊宿舎。(2009年5月9日撮影)

伊勢航空基地(いせこうくうきち、JCG Ise Air Station)とは、陸上自衛隊明野駐屯地の自衛隊職員宿舎裏(三重県伊勢市小俣町明野680〈.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度31分41.2秒 東経136度40分12.4秒 / 北緯34.528111度 東経136.670111度 / 34.528111; 136.670111〉)にハンガーヘリポートを保有した海上保安庁の「航空基地」と称されている施設。第四管区海上保安本部(四管)の所管であったが2008年平成20年)に閉鎖。陸上自衛隊明野駐屯地に隣接していた[1]
沿革

海上保安庁は1966年度(昭和41年度)から3ヵ年計画で、第八管区海上保安本部舞鶴航空基地を伊勢に移転する計画を進め、1968年(昭和43年)10月1日に舞鶴航空基地を閉鎖し、伊勢航空基地を開設した。

航空基地の庁舎や格納庫などは四管が所有していたが、ヘリコプターの離着陸では、隣接する陸上自衛隊明野飛行場の滑走路を借りたり、飛行場管制を受けるなど、飛行場の管理は陸上自衛隊航空学校であったため、航空学校の休日や夜間は陸自との調整・支援が必要であり、すぐに飛び立つことができなかった。また飛行場の滑走路も短いため、ヘリコプター以外の応援機は離着陸できなかった[2]

即応体制の確立、安全性の向上、固定翼機との連携の強化を図るため、航空基地を中部国際空港に移転することを決め、2008年(平成20年)10月1日、伊勢航空基地を廃止、中部空港海上保安航空基地を開設した[3]
歴代基地長

歴代の伊勢航空基地長代氏名階級在任期間出身校前職後職備考
1南出一郎1968.10.1 - 1972.2.29
四管
警備救難部付辞職
2笹生利男1972.3.1 - 1977.6.9一管
千歳航空基地長境海上保安部
士官予備員
3伊東一和二等海上保安監1977.6.10 - 1979.8.26玉野海上保安部次長尾道海上保安部長・
尾道糸崎港長
4引光淳朗二等海上保安監1979.8.27 - 1982.3.31那珂湊海上保安部
鹿島海上保安署長・
鹿島港長一管
千歳航空基地長
5谷口克幸二等海上保安監1982.4.1 - 1984.3.31横浜海上保安部
巡視船うらが航空長一管
千歳航空基地長
6佐藤敏明二等海上保安監1984.4.1 - 1985.3.31一管
函館航空基地長辞職
7吉田敏二等海上保安監1985.4.1 - 1986.3.31塩釜海上保安部
巡視船ざおう航空長辞職
8中江敏夫二等海上保安監1986.4.1 - 1989.3.31瀬戸内海東部
統制通信事務所次長辞職
9則包辰男二等海上保安監1989.4.1 - 1991.3.31那珂湊海上保安部
鹿島海上保安署長・
鹿島港長石垣海上保安部長
10春原公人二等海上保安監1991.4.1 - 1993.3.31海上保安学校
宮城分校教官仙崎海上保安部長
11浜本武男二等海上保安監1993.4.1 - 1996.3.31横浜海上保安部
巡視船うらが航空長九管
新潟航空基地長
12多田一司1996.4.1 - 1998.3.31伏木海上保安部
巡視船のと業務管理官
13高田正1998.4.1 - 2000.3.31海保大
1973年卒稚内海上保安部
巡視船れぶん業務管理官秋田海上保安部長・
秋田船川港長
14河合弘二等海上保安監2000.4.1 - 2002.3.31金沢海上保安部
巡視船くろべ業務管理官十一管
石垣航空基地長
15末廣孝夫二等海上保安監2002.4.1 - 2003.3.31十一管
警備救難企画調整官海保大教授
16四十住初男二等海上保安監2003.4.1 - 2005.3.31海保大名古屋海上保安部
巡視船みずほ航空長一管
千歳航空基地長
17井上雅英二等海上保安監2005.4.1 - 2006.3.31海保大対馬海上保安部
比田勝海上保安署長青森海上保安部長・
青森港長
18南隆男二等海上保安監2006.4.1 - 2008.9.30八管
美保航空基地長中部空港
海上保安航空基地長

主な施設

庁舎:鉄筋コンクリート2階建て、面積 319
m2、建設年月日:1968年3月24日

格納庫:鉄骨鋼板葺き、面積 540m2、建設年月日:1968年3月24日

エプロン:面積 4,926m2(コンクリート造 2,619m2、芝生敷 2,307m2)

所属機

歴代の所属機機番型式愛称配属期間前配属後配属備考
SH101
川崎ベル式47G2A型1968.10.1 - 1972.6.20舞鶴航空基地羽田航空基地
SH108川崎ベル式47G3BKH-4型1970.12.11 - 1981.11.2新規配属解役
SH111川崎ベル式47G3BKH-4型1972.4.8 - 1981.10.30新規配属解役
SH113川崎ヒューズ式369HS型パール1号1977.4.1 - 1993.8.23石垣航空基地解役
SH115川崎ヒューズ式369HS型パール2号1979.8.15 - 1993.6.30那覇航空基地解役
MH562ベル式212型かみたか1号1981.9.10 - 2008.10.1新規配属中部空港海上保安航空基地
MH566ベル式212型かみたか2号1981.11.12 - 2008.10.1新規配属中部空港海上保安航空基地

所属機の愛称は1991年(平成3年)につけられた。ベル式212型の愛称「かみたか」については公募で選ばれた。神島や伊勢神宮などからイメージされる「かみ」と、鷹(たか)をかけ合わせた名称としている。川崎ヒューズ式369HS型の愛称「パール」については基地職員が形状や三重県の特産にちなんでつけたとされている[4]
参考文献

『三十年の歩み』第四管区海上保安本部 伊勢航空基地、1999年3月

『30年の歩み』第四管区海上保安本部、1978年5月

『伊勢湾及びその周辺海域における海上保安の現況(附 第四管区海上保安本部40年の歩み)』第四管区海上保安本部、1988年9月

脚注[脚注の使い方]^ 2009年現在、施設は壊されずにそのまま残されている。
^ 「海保・伊勢航空基地、中部空港に統合 海難事故などに即応 40年の歴史に幕/三重県」朝日新聞 2008年10月2日付 名古屋地方版/三重 23面 三重全県
^ 「中部空港に海保基地」中日新聞 2008年9月26日付 朝刊 30面 第3社会面


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