伊勢山田
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山田(やまだ)は三重県伊勢市地名である。伊勢神宮外宮鳥居前町として成熟してきた地域であり、現在の伊勢市街地に相当する。古くは「ようだ」「やうだ」などと発音した。 現在の山田
目次

1 概要

2 歴史

3 現況

3.1 呼称について


4 地域

4.1 修道

4.2 明倫

4.3 有緝

4.4 厚生

4.5 早修

4.6 中島


5 参考文献

6 脚注

7 外部リンク

概要

宮川勢田川に挟まれた平地に位置し、室町時代以来現在に至るまで伊勢の中心として機能している。また伊勢市駅宇治山田駅交通の拠点となっているほか、政治経済等の面において広く南勢伊勢志摩)地域の中心としての役割を担っている。

類似した地名に山田原があるが、これは旧神社町宇治山田港周辺)や鹿海(かのみ)町などを含む、より広い地域概念である。

『伊勢市史』によると「山田」の範囲は以下の地区である。

※名称は1889年明治22年)4月1日町村制が施行され、宇治山田町が成立する以前のものである。☆は1868年(明治元年)12月に翌年の明治天皇行幸を見越して改称された地区。

倭町☆ - 常明寺門前町より改称

尾上町(おのえ)☆ - 妙見町より改称

岡本町

岩淵町 - 現行の表記は「岩渕」が多い。

吹上町

河崎町

船江町

一之木町

豊川町

田中中世古町 - 1908年(明治41年)1月、本町に改称。

宮後町(みやじり)

一志久保町 - 1955年昭和30年)1月、一志町に改称。

大世古町

曽祢町

八日市場町

下中之郷町 - 1931年(昭和6年)10月、宮町に改称。

常磐町☆ - 上中之町より改称

浦口町

二俣町

辻久留町(つじくる)

中島町

宮川町☆ - 中川原より改称

歴史 伊勢神宮外宮と山田

山田の歴史は深く、倭町で弥生時代竪穴式住居跡が発見されるなど、有史以前から人々が居住していたことが分かっている[1]。しかし、宮川や豊川はたびたび氾濫を起こしたため、実際に定住が進み集落が形成されたのは雄略天皇22年(西暦478年)に豊受大神が山田原に鎮座[2]して以降だと考えられている。

中世に入ると朝廷からの資金が滞るようになったことに加え、荘園勢力の台頭により山田は衰退の一途をたどることになる。そこに外宮の禰宜度会家行が現れ、伊勢神道(度会神道)を興す。これは外宮の祭神が内宮よりも神格が上であると主張するもので、山田の地位向上に大いに効果を発揮した。更に御師の活躍で全国に檀家を持つようになり、復興を果たしたと共に地理的な特性[3]もあり、室町時代頃には内宮を擁する宇治を上回る規模に発展した。

この頃山田と宇治の対立が激化し、たびたび町や神宮が炎上していた。また、代々の神官家と新興勢力との対立・衝突も見られた。

こうして力を付けた山田には郷(村)ごとにが結成され、それらをまとめる団体として山田三方が組織された。山田三方は神宮と深いつながりを持つ土倉などの有力者から構成され、営業権などを取り決める自治組織としての役割を果たした。その規模は、博多に並ぶものであったとされる。この山田三方は明治時代近代国家が成立するまで山田の自治組織として続いた。

近世になるとお蔭参りの流行などにより、町はますます発展していった。こうした中、徳川家康は宮川以東の神領を管轄するため慶長8年(1603年山田奉行所を山田吹上に置いた[4]

明治時代になると伊勢神宮が国家神道の頂点とされたため神都の顔として更に発展していく。1889年(明治22年)には対立関係にあった宇治と合併して宇治山田町(うじやまだちょう)に、1906年(明治39年)には津市四日市市に次いで三重県で3番目に市制を施行した。山田には市役所がおかれたほか、明治の初期には度会府度会県[5]の府庁・県庁の所在地でもあった。

神都の交通機関として、戦前までに参宮鉄道(現JR参宮線)・参宮急行(現近鉄山田線)・伊勢電(現在は廃止)が相次いで乗り入れ、それらの終点駅が山田に開業した。市内交通も発達し、神都線路面電車)や御幸道路も整備された。

戦中には6度の空襲に遭った(宇治山田空襲)が無事復興を果たす。しかし高度経済成長期以降は全国の地方都市と同様、若年層の流出が続き、徐々に人口が減少し中心部の空洞化が進んだ。
現況

伊勢市唯一のデパートであった三交百貨店2001年(平成13年)に撤退するなど衰退の色は否めない[6]。しかし他に匹敵する規模の市が存在しないため、現在でも三重県南部最大の町の中心であることには変わりない。
呼称について

現在のこの地域を「山田」と呼ぶことは少なく、山田の名が残っていた山田赤十字病院も、2012年1月にミタス伊勢へ移転し伊勢赤十字病院に改称され、山田という名称が消滅した。最近は山田と呼ぶ代わりに「伊勢市街地(伊勢中心街)」や単に「市街地」と表現されたり、後述する小中学校区名で呼ばれることが多い。

あえて「山田」と言う場合は過去(特に江戸時代)に存在した外宮の鳥居前町を指すのが一般的である。

ただし、現在でも遷宮神嘗祭など、神宮行事への参加は外宮は山田、内宮は宇治に分かれて行い[7]、神嘗祭を祝う各町の会式を集約統合した伊勢まつり(実質的に山田[8])・宇治大祭(宇治)[9]もこれを踏襲している。そのため、「山田」と呼ぶ機会は少ないものの、宇治との差異を意識する機会になっている。しかし、市町村合併により、従来の「山田」の外にも外宮の行事に参加する地域が拡大しているため、これらの地域は山田としての意識はない。

地域

現在の山田は、伊勢市役所の地域区分では小学校区を元にして以下のように細分される[10]。人口は2010年8月末現在[10]
修道

以下の町以外に桜木町・中之町・古市町・久世戸町(以上宇治地区)・中村町字桜が丘(四郷地区)が含まれる。


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