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伊勢型戦艦
1922年ごろの「伊勢」の絵葉書。白い部分は日避けのキャンバス。
基本情報
艦種戦艦
命名基準旧国名
運用者 大日本帝国海軍
建造期間1915年 - 1918年
就役期間1917年 - 1945年
同型艦伊勢、日向
建造数2隻
前級扶桑型戦艦
次級長門型戦艦
要目 (新造時)
常備排水量29,900トン
満載排水量31.260トン
全長208.1 m
最大幅28.65 m
吃水8.74 m
主缶ロ号艦本式重油・石炭混焼水管缶 24基
主機ブラウン・カーチス式(日向はパーソンズ式)
+直結タービン(低速型・高速型) 2組4軸推進
最大速力23.0ノット
航続距離14ノット/9,680海里
燃料石炭:4,600トン
重油:1,411トン
乗員1,360名
兵装四一式45口径連装砲 6基
三年式50口径単装速射砲 20基
三年式40口径単装高角砲 4基
53.3cm水中魚雷発射管 6基
装甲舷側 305mm(水線部主装甲)、89mm(艦首尾部)
上甲板 30mm、主甲板 53?64mm
主砲防盾 305mm(前盾)、305mm(側盾)、-mm(後盾)、76mm(天蓋)
バーベット部 292mm
司令塔 305mm
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レイテ沖海戦時の伊勢
伊勢型戦艦(いせがたせんかん)は、大日本帝国海軍の戦艦の艦級である。本級は扶桑型に引き続き建造された超弩級戦艦である。
同型艦は伊勢、日向の 2隻[注釈 1]。 当初は扶桑型戦艦(扶桑、山城)の3番、4番艦として予定されていた。しかし、予算の関係で予定していた3番艦の起工が遅れ、しかも扶桑型に欠陥が見つかったため再設計された。 扶桑型の問題点で解消できた部分は多いとはいえ、後述する問題点等も含めると、まだまだ日本独自の技術よりは、イギリス式から受け継いだ流用技術に依存するところが多く、当時の日本の建艦事情の問題点も窺える。 英国技術を日本流に昇華させ、日本独力の技術で建造された純正戦艦と呼ばれるようになるのは次の長門型戦艦まで待たなければならなかったとも言われる。 本型は近藤基樹博士の設計である扶桑型の船体設計を参考として、経験を積み重ねて成長してきた艦政本部の若き精鋭陣の知恵を結集して設計され、随所に日本的発想と設計を感じ取ることができる物である。 本級の船体形状は前級の長船首楼型船体と打って変わって、艦首側のみ乾舷の高い短船首楼型船体を採用している。これは前級では甲板に直置きだった3番・4番主砲塔が本級では背負い式配置になった事で重心の上昇を抑えるために船首楼甲板が3番主砲塔基部で終了させたためである。このため、船首楼の居住区画の一部を副砲ケースメイトとして配置したために、本級の居住性は日本海軍戦艦中でも劣るものとなったとされる。 艦首形状は弱く傾斜したクリッパー・バウでその下は底部まで垂直に切り立っている。傾斜(シア)のまったくない艦首甲板上に35.6cm連装砲塔を背負い式で2基装備し、2番砲塔基部から上方から見て六角形の上部構造物が始まり、甲板一段分上がって司令塔を基部として三角柱上の見張り所が設けられ、それを基部として頂上部に射撃指揮所と中段に操舵艦橋を持つ三脚式の前部マストが建つ。その背後には間隔の狭い2本煙突が立つ。2本の煙突は断面は小判型で共通だが前後で高さが異なっており、1番煙突のみ高かった。2番煙突の背後3番主砲塔が配置し、そこで船首楼甲板は終了し、中甲板上に4番主砲塔が直置きされる形で後ろ向きの背負い式配置で2基となっていた。艦載艇は3番・4番主砲塔砲撃時の爆風による損傷を避けるために2番煙突の左右に爆風避けの壁(ブラスト・スクリーン)を設けてその中に艦載艇置き場とした。艦載艇は前部マスト後方の2脚のそれぞれ1脚を基部とするジブ・クレーンが片舷1基ずつ計2基により運用された。4番主砲塔の後ろに後部司令塔を基部に持つ後部三脚式マストが立ち、艦尾甲板上に35.6cm連装砲塔が後ろ向きに背負い式配置で2基が配置された。これはアメリカ海軍の「ワイオミング級」と同一の配置で、好設計と言えた。こうした外国の設計を取り入れる柔軟さは副砲にも引き継がれた。
概要
艦形について