伊勢国
[Wikipedia|▼Menu]

伊勢国

■-伊勢国
■-東海道
別称勢州(せいしゅう)[注 1]
所属東海道
相当領域三重県の北中部、愛知県弥富市の一部、愛知県愛西市の一部、岐阜県海津市の一部
諸元
国力大国
距離近国
数1384
国内主要施設
伊勢国府三重県鈴鹿市(伊勢国府跡)
伊勢国分寺三重県鈴鹿市(伊勢国分寺跡
伊勢国分尼寺(推定)三重県鈴鹿市
一宮椿大神社(三重県鈴鹿市)
テンプレートを表示

伊勢国(いせのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。
「伊勢」の名称と由来

語源は「伊呂勢(=弟)」であり、出雲の分派としての機能から発達したという説がある。また、海に近いことから「イソ」が転じたとする説もある。

表記例としては、「伊世国」も見られる(『続日本紀』天平勝宝4年10月8日条)。
領域

明治維新直前の領域は、現在の下記の区域に相当する。

三重県

桑名郡木曽岬町

桑名市

員弁郡東員町

いなべ市

三重郡川越町朝日町菰野町

四日市市

鈴鹿市

亀山市

津市

松阪市

多気郡明和町多気町大台町

度会郡玉城町度会町南伊勢町

度会郡大紀町の大部分(錦を除く)

伊勢市

志摩市の一部(磯部町山原・磯部町栗木広・磯部町桧山)


愛知県

弥富市の一部(五明・五明町・小島町・川原欠・加稲・加稲九郎次町・三好・三好町・富島・富島町・中原・中原町・稲荷崎・加稲山町・稲荷崎町・境町および川平の一部・海老江の一部・栄南町の一部[注 2]

愛西市の一部(福原新田町の一部[注 3]


岐阜県

海津市の一部(海津町金廻・海津町油島[注 4]


沿革

日本書紀』などの倭姫命伝説では美し国(うましくに)と称された。

『伊勢国風土記』逸文によると、神武東征の際に派遣された天日別命が、国津神(土着の勢力)の伊勢津彦(イセツヒコ)を追放して伊勢平定を復命し、これを喜んだ神武天皇が神の名「イセ」にちなんで命名したとされる。大和政権の勢力がこの地域にまでおよんだことを神格化したものと考える説がある[1]

宝賀寿男は、伊勢津彦後裔の国造一族の動向から、弥生時代後期に神武天皇の勢力に追われて東国へ逃れた神狭命の史実がその実態であると主張した[2]。なお天日別命は伊勢国造になったとされる。

7世紀孝徳天皇の時代に、島津国造伊賀国造、佐那県造、度逢県造、川俣県造、壱志県造、飯高県造、阿野県造の領域も含んだ伊勢国造の領域を中心に成立した。

天武天皇9年(680年)7月に伊賀国を分置した。

8世紀はじめまでに志摩国を分立したが、その正確な時期は不明である。分立当初、熊野灘に面した沿岸部(現在の南伊勢町にあたる地域)は志摩国に属していたが、天正10年(1582年)、伊勢国司北畠信雄と紀伊新宮城主の堀内氏善が荷坂峠を境として、伊勢国度会郡と紀伊国牟婁郡に編入したため、志摩国は現在の鳥羽市志摩市だけの地域となった。
近世以降の沿革

旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り(1,269村・679,122石)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。

桑名郡(166村・61,266石余) - 幕府領美濃郡代)、桑名藩長島藩

員弁郡(111村・50,772石余) - 桑名藩、武蔵忍藩上総一宮藩

朝明郡(64村・33,620石余) - 桑名藩、武蔵忍藩

三重郡(91村・67,104石余) - 幕府領(信楽代官所)、旗本領菰野藩、津藩、久居藩、桑名藩、亀山藩、神戸藩、武蔵忍藩、上総一宮藩、下野吹上藩紀伊和歌山藩伊勢内宮御師

河曲郡(33村・27,370石余) - 旗本領、神戸藩、亀山藩、津藩、久居藩、下野吹上藩、紀伊和歌山藩

奄芸郡(60村・40,510石余) - 津藩、久居藩、紀伊和歌山藩

鈴鹿郡(89村・66,554石余) - 幕府領(信楽代官所)、亀山藩、久居藩、津藩、神戸藩、伊勢神宮

安濃郡(83村・59,914石余) - 津藩、久居藩

一志郡(115村・89,748石余) - 津藩、久居藩、紀伊和歌山藩

飯高郡(110村・52,492石余) - 紀伊和歌山藩

飯野郡(46村・26,049石余) - 津藩、志摩鳥羽藩、紀伊和歌山藩

多気郡(131村・48,409石余) - 津藩、紀伊和歌山藩、下野吹上藩、志摩鳥羽藩、上総一宮藩、伊勢神宮領、伊勢外宮御師領

度会郡(170村・55,307石余) - 幕府領(信楽代官所・山田奉行)、紀伊和歌山藩、志摩鳥羽藩、伊勢神宮領、久志本式部領[注 5]


慶応4年

1月22日1868年2月15日) - 戊辰戦争により桑名城が開城し、桑名藩領が名古屋藩取締地となる。

3月7日(1868年3月30日) - 信楽代官所の管轄地域が大津裁判所の管轄となる。

4月15日(1868年5月7日) - 美濃郡代の管轄地域が笠松裁判所の管轄となる。

4月28日(1868年5月20日[注 6] - 大津裁判所の管轄地域が大津県、笠松裁判所の管轄地域が笠松県の管轄となる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:88 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef