伊勢丹相模原店
Isetan Sagamihara
本館
地図
店舗概要
所在地〒252-0303
神奈川県相模原市南区相模大野4-4-3
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度32分0.37秒 東経139度26分5.7秒 / 北緯35.5334361度 東経139.434917度 / 35.5334361; 139.434917 (伊勢丹相模原店)座標: 北緯35度32分0.37秒 東経139度26分5.7秒 / 北緯35.5334361度 東経139.434917度 / 35.5334361; 139.434917 (伊勢丹相模原店)
開業日1990年9月25日
閉業日2019年9月30日
施設所有者三越伊勢丹
施工者大林組
延床面積約38,538 m2※A館・B館も含む
営業時間10:00-19:00(レストラン街・イートパラダイスは11:00-21:00)
駐車台数1,200台※伊勢丹本館地下駐車場など、このほか提携駐車場多数
前身アメリカ陸軍医療センター跡地
最寄駅小田急小田原線・小田急江ノ島線 相模大野駅
外部リンク伊勢丹相模原店ホームページ(アーカイブ)
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目では色を扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。
伊勢丹相模原店(いせたんさがみはらてん)は、かつて神奈川県相模原市南区に所在し、三越伊勢丹が伊勢丹ブランドで運営していた百貨店。相模原市内で唯一の百貨店であった[1]。
1990年(平成2年)9月25日開業。2019年(令和元年)9月30日をもって閉店。本館跡地には2025年に41階建複合型タワーマンション「プラウドタワー相模大野クロス」が建設される予定[2]。
1993年(平成5年)4月9日にはA館・B館が増設されたが[3]、こちらは2016年(平成28年)2月1日に閉館した。 1981年(昭和56年)に、小田急線相模大野駅前に所在していたアメリカ陸軍医療センター跡地が日本へ返還された。 この出来事は、「市の中心」と呼ぶべき街が無かった相模原市にとって大きな機会であった。同市は、返還されたばかりであるこの「医療センター跡地を用いた開発」と、従来から相模大野駅周辺で行われていた「土地区画整理事業」[注 1]を並行させ、相模大野を「相模原市の中心都市」へ変貌させる大規模計画に着手したのである[4]。 この時相模原市は、相模大野駅周辺の中でも、次の3ヶ所を「核」とした三核構造を計画した[4]。 この都市型百貨店へ、相模原市が伊勢丹(当時)を誘致する形で[5][6]1990年(平成2年)9月25日に伊勢丹相模原店が開店することとなった。 1980年代後半に起こったバブル景気の勢いから、潤沢な資金を使ってヨーロッパ風の装飾・歴史的建築様式をふんだんに取り入れる「ポストモダン」の影響を強く受けた建物である。この影響は、店内の大理石・彫刻・モザイク画などに見受けられるが、その中でも大きな特徴が「ギャラリースクエア」である。 ギャラリースクエアとは、2?4階建物中央部を縦に貫く大規模な吹き抜け空間である。3階にはその吹き抜けを横切る橋が掛けられており、「一見ムダとも思えるほど効率を度外視」した斬新な百貨店として業界から注目を集めた[7]。 またギャラリースクエア・2階部分は、正面玄関?グリーンホール口につながる幅広の道にもなっており、相模大野駅・商店街方面と、グリーンホール・中央公園方面の間を結ぶ太い動線となっていた[8]。 他方で、相模原市は伊勢丹を「相模大野の重要な核」と位置付けていたため同市の影響が強く、隣接する市営施設(グリーンホール相模大野・市営立体駐車場・市民ロビー)の間は全て連絡通路で繋がっていた[9][10]。また建物の外壁は、相模原市が定めた「環境デザイン計画」に則り、アースカラーの落ち着いた色彩のタイル、さらに御影石やサンドストーンといった自然石が用いられた[11][12]。 1993年(平成5年)には本館の道路向かいにA館・B館を増設、1996年(平成8年)には売上が377億円まで拡大した[13]。同年代に開発されたグリーンホール相模大野、相模大野モアーズ、ロビーファイブなどと共に相模大野の「核」として発展を支え、近隣地域より都市化が遅れていた相模大野を「第4山の手」の一角と呼ばれるまでに急成長させた[14][注 8]。 しかし、バブル崩壊をきっかけとした景気後退で「ユニクロ」など低価格ブランドが台頭した事、近隣商業圏(町田・新百合ヶ丘など)との競争激化[15]、さらに相模大野駅新駅舎化によって駅出口が伊勢丹から遠い場所へ移転してしまった事による人流の弱化、そしてその相模大野駅に直結する「相模大野ステーションスクエア」の開業[16]など様々な要因が重なって赤字が恒常化。
概要
開店
相模大野駅
相模大野駅西側(現在のボーノ相模大野付近)
医療センター跡地
この3ヶ所のうち、医療センター跡地を「商業・文化の核」として、図書館[注 2]・文化会館(ホール)[注 3]・立体駐車場・公園[注 4]・高等学校[注 5]・住宅[注 6]・専門店街[注 7]・そして都市型百貨店の整備を進めた[4]。
建物本館2階・ギャラリースクエアの床に嵌め込まれていたプレート
閉店の発表