伊倉一恵
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いくら かずえ
伊倉 一恵
プロフィール
本名同じ
[1][2][3]
愛称カズさん
性別女性
出身地 日本長野県上田市[4]
生年月日 (1959-03-23) 1959年3月23日(65歳)
血液型O型[5]
職業女優声優ナレーター[6]
事務所青二プロダクション[7]
公式サイト伊倉 一恵|株式会社青二プロダクション
公称サイズ(時期不明)[9]
身長 / 体重155[8] cm / 50 kg
靴のサイズ23.5[5] cm
活動
活動期間1979年 -
デビュー作女忍者(『まんが猿飛佐助』)
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

伊倉 一恵(いくら かずえ、1959年3月23日[2][3][8] - )は、日本女優声優ナレーター[6]長野県上田市出身[4]青二プロダクション所属[7]。1991年4月から1995年2月の間は、伊倉 一寿(いくら かず)名義で活動。
来歴

東京俳優生活協同組合ぷろだくしょんバオバブ、なべやを経て、青二プロダクションに所属[7][10]
声優になるまで

長野県上田市で生まれ育つ[4]。小学校時代から中学校時代まで合唱団に所属していた[11]。音楽の教師が熱心であり、コンクールにもたくさん出場していた[11]。当初は音符も読めないくらいだったが、その熱心な教師が音大生が学ぶような方法で音符の読み方を教えてくれた[11]。していくうちにできるようになることが楽しく、譜面が怖くなくなっていったという[11]

漠然とながら小さい頃から職業としての声優があることは、知っていたという[2]。当時は『0011ナポレオン・ソロ』のイリヤ・クリヤキンの野沢那智が好きで、「カッコイイなー」と思っていたという[2]。その頃は「役者や声優になりたい」とは思っていなかったという[2]。大学入学目指して受験勉強していたが、方向転換して母親の薦めで上京し、大学には進学せず俳協付属養成所に入所[12]。養成所7期生[4]。2年後に東京俳優生活協同組合に所属。初仕事はニッポン放送スラップスティックラジオ番組『ウルトラアニメ』。1979年に『まんが猿飛佐助』の女忍者役で声優デビュー[10][13]
デビュー後

養成所の卒業公演から舞台を志向し始め、1980年から手塚敏夫が主宰する劇団「-劇舎(SHIBAIYA)-燐」に所属し、多い年には年に6度のペースで公演に参加。当初は舞台活動を中心にし、拘束時間が少ない声優業をアルバイトとして行っていた[10]

1981年放送の『まんが 水戸黄門』のお琴が初のレギュラー作品[13]。これをデビュー作とすることもある[2][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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