伊予鉄道
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この項目では、2018年4月より「伊予鉄道株式会社」を名乗っている会社法人および、旧社から継承した伊予鉄道の各事業について説明しています。1992年6月から2018年3月まで「伊予鉄道株式会社」を名乗っていた会社法人については「伊予鉄グループ」をご覧ください。

伊予鉄道株式会社
Iyo Railway Co., Ltd.
伊予鉄グループ本社前にある松山市駅ターミナル
種類株式会社
本社所在地 日本
790-0807
愛媛県松山市平和通六丁目98番地[1]
設立2017年(平成29年)4月3日
(伊予鉄道分割準備株式会社)
業種陸運業
法人番号7500001020510
事業内容鉄道・軌道事業
代表者代表取締役社長 清水一郎
資本金1億円
主要株主伊予鉄グループ 100%
(2019年3月31日現在[2]
外部リンクhttps://www.iyotetsu.co.jp/
特記事項:創立:1887年(明治20年)
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伊予鉄道株式会社(いよてつどう、Iyo Railway Co., Ltd.)は、株式会社伊予鉄グループの主要子会社であり事業会社である。愛媛県松山市に本社を置き、鉄道軌道事業を行っている。

現在の法人は2018年(平成30年)4月1日に伊予鉄グループの持株会社移行に伴い同社(旧・伊予鉄道)の会社分割により発足したもの[3]で、旧・伊予鉄道(現・伊予鉄グループ)は1887年(明治20年)に創立された、民営鉄道としては日本で2番目に古い歴史を持つ老舗企業である[4]
概要開業時から昭和中期にかけて運行された坊っちゃん列車(1910年)1910年の松山駅(現・松山市駅)高浜線電化と同時に登場した中四国初の大型ボギー電車・100系(1931年)

松山外港である三津と松山市街とは宮前川や中の川による舟運[注釈 1]三津街道に頼っていたが、これを改善しようと鉄道の建設を決意したのが創業者の小林信近である[4]。小林はイギリス人技師から教えを受け、小資本でも建設できる鉄道として軌間762mmの軽便鉄道を採用。鉄道局からは「地方に鉄道など時期尚早」と却下されたものの小林は鉄道局の井上勝らに直談判し、熱意に負けた形で許可が下りたという。1887年に伊予鉄道を設立し、日本で初めての軽便鉄道[4]および中四国地方で初めての鉄道として、松山 - 三津間を1888年に開業させたものである。

以後、道後鉄道南予鉄道松山電気軌道買収するなどして路線網を広げ、松山の都市内交通を担っている。

なお、1951年(昭和26年)からバス事業も行ってきたが、2018年の伊予鉄グループ再編の際に伊予鉄バスとして事業会社化している。
沿革

1887年明治20年)9月14日:伊予鉄道会社設立。

1888年(明治21年)10月28日:松山(後の外側、再び松山、現在の松山市) - 三津間で鉄道開業。四国初の鉄道。

1892年(明治25年)5月1日:三津 - 高浜間が延伸開業。高浜線全通。

1893年(明治26年)5月7日:平井河原線(現在の横河原線)外側(現在の松山市)- 平井河原(現在の平井)間が開業[5]

1895年(明治28年)8月22日:道後線の前身である道後鉄道により古町 - 道後(現在の道後温泉) - 松山(後の一番町、現在の大街道付近)間が開業。

1896年(明治29年)

1月26日森松線が開業・全通。

7月4日郡中線の前身である南予鉄道により藤原(現在の松山市) - 郡中間が開業。


1899年(明治32年)10月4日:平井河原線、平井河原 - 横河原間延伸開業。同時に横河原線と改称。横河原線全通。

1900年(明治33年)5月1日:道後鉄道・南予鉄道を合併。それぞれを道後線、郡中線とする。

1911年(明治44年)8月8日:道後線 古町 - 道後間を1,067mmに改軌、電化。

1916年大正5年)12月31日:伊予水力電気と合併し、伊予鉄道電気株式会社に商号を変更[6]

1921年(大正10年)4月1日松山電気軌道を合併。

1923年(大正12年)6月30日:旧松山電気軌道線を1,435mm(標準軌)から1,067mmに改軌。

1927年昭和2年)11月1日:萱町 - 江ノ口間(旧松山電気軌道線)営業廃止。

1931年(昭和6年)

5月1日:高浜線を1,067mmに改軌、電化。

10月6日:横河原・森松線を1,067mmに改軌。


1935年(昭和10年)11月4日:梅津寺遊園地完成。

1937年(昭和12年)7月22日:郡中線を1,067mmに改軌。

1939年(昭和14年)5月10日:郡中 - 郡中港間延伸開業。郡中線全通。

1942年(昭和17年)4月1日:伊予鉄道電気が電力事業を四国配電(現在の四国電力)に分離し、鉄軌道事業を担う伊豫鉄道株式会社を設立。

1944年(昭和19年)1月1日:三共自動車を合併、自動車部を設立し貸切および乗合バス事業に参入。

1945年(昭和20年)

2月21日不要不急線指定により高浜線を全線単線化。

7月26日松山大空襲により本社事務所を始め、主要駅舎、車両工場、自動車営業所等々を焼失。被害甚大。鉄軌道全線の運行を中止。

7月27日:鉄道郊外各線で運行を再開。

8月20日城北線運行再開。

9月8日城南線運行再開。


1947年(昭和22年)3月25日花園線開業。全通。

1950年(昭和25年)5月10日:郡中線電化。

1952年(昭和27年)2月5日:松山市内線では初のボギー車 モハ50形電車運行開始。

1954年(昭和29年)2月1日:横河原線・森松線ディーゼル化により、蒸気機関車坊っちゃん列車)が廃止。

8月15日:車扱い貨物営業廃止。


1958年(昭和33年)4月1日:伊予鉄道初のカルダン駆動車 600系電車運行開始。


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