伊久国造(いくのくにのみやつこ、いくこくぞう)は、のちに陸奥国となる地域(伊久国)を支配した国造である。 『先代旧事本紀』「国造本紀」に伊久国造と表記される。 国造を務めた氏族は不明である。 国造の本拠(官府)は角田市に置かれていたとされ、角田市内や近隣の丸森町には前方後円墳や円墳など古墳が多数存在する。 国造の支配領域は当時伊久国と呼ばれた地域、後の陸奥国伊具郡で、現在の角田市、丸森町に相当する。 国造の氏神は不明である。ただし『延喜式』に記載されていないものの、諏訪神社
概要
表記
先祖
『先代旧事本紀』「国造本紀」に、成務天皇の御世に阿岐国造
氏族
本拠
支配領域
氏神
墓
長泉寺4号墳(ちょうせんじよんごうふん)長泉寺古墳群の一基で、古墳時代中期築造の全長74メートルの前方後円墳。
吉ノ内古墳
脚注^ 「諏訪神社
関連項目
東山道