伊三百六十一型潜水艦
[Wikipedia|▼Menu]

伊三百六十一型潜水艦
伊361
基本情報
種別一等潜水艦
命名基準番号
運用者 大日本帝国海軍
建造期間1943年 - 1944年
就役期間1944年 - 1945年
建造数12隻
次級丁型改
要目
基準排水量1,440トン[1]
常備排水量1,779トン[1]
水中排水量2,215トン[1]
全長73.5m[1]
最大幅8.9m[1]
吃水平均 4.76m[1]
主機艦本式23号乙8型 ディーゼルエンジン×2基[1]
推進器スクリュープロペラ×2軸
出力水上:1,850hp[1]
水中:1,200hp[1]
電力特8型電動機×2基[1]
1号15型蓄電池×240個[注釈 1][1]
速力水上:13kt[1]
水中:6.5kt[1]
航続距離水上:10kt/15,000海里[1]
水中:3kt/100海里[注釈 2][1]
燃料重油282トン[1]
潜航深度75m[1]
搭載能力艦内65トン、艦外20トン[1]
魚雷発射管撤去後:艦内90トン、艦外20トン[1][2]
乗員55名[1]
兵装40口径14cm単装砲1門[1]
25mm単装機銃1基[注釈 3][1]
九五式53cm魚雷発射管 艦首2門、魚雷2本[注釈 4][1]
レーダー竣工時:22号電探[2][3]
1945年以降:13号電探[2][3]
水中充電装置[注釈 5][4]
電子戦
対抗手段竣工時:逆探[2][3]
その他一部艦は1945年初頭に回天を搭載[2]
テンプレートを表示

伊三百六十一型潜水艦(いさんびゃくろくじゅういちがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍潜水艦の艦級。潜輸大型(せんゆおおがた)、丁型(ていがた)、潜丁型(せんていがた)とも呼ばれる。
概要

太平洋戦争後期に輸送任務のために12隻建造され、1944年(昭和19年)に全艦が竣工した。本来の輸送任務に利用された他、末期には一部の艦が改装を受け回天攻撃にも利用された。8隻が太平洋戦争で戦没、残りは1隻が終戦後に触雷沈没し、3隻が米軍によって処分された。本級は警戒が厳重な離島への輸送任務が目的であるため、敵艦のレーダーに探知されないよう艦橋下部が逆台形になっており、浮上航行時レーダー波を海面にそらすようになっていた。
設計
背景

輸送専門の潜水艦計画は1941年(昭和16年)初頭、第一次世界大戦時にドイツで計画された潜水商船ドイッチュラント」を参考とした構想が提案されていたが、作戦部は興味を示さず自然消滅する形となった。しかし、ミッドウェー海戦の敗北後、軍令部では以後の対米作戦において大規模な侵攻作戦を行うことが困難と予測され、代わりとして海軍陸戦隊による敵地への隠密強襲上陸作戦を行うことが考えられた[5]。これらの作戦等に用いることが出来るよう、軍令部から輸送潜水艦の要望が出された[6]。この結果、改D計画で本型が計画されることとなった。
艦形

本型は潜水商船「ドイッチュラント」を参考に、艦前後方の輸送スペースを設けてそこに兵員と物資を搭載することとした。計画当初は陸戦隊110名と物資10トンを艦内に搭載し、艦の後部甲板上に上陸用舟艇である特型運貨船2隻を搭載する予定だった[7]。他にも建造期間を短縮するために、主機や電動機は既製品を用いることとされていた[2]

その後設計と建造計画は急速に進み、1943年(昭和18年)2月には1番艦が起工された。しかしこの頃、ガダルカナルの戦いにおける潜水艦を用いた輸送作戦での戦訓がもたらされ、建造中に仕様変更が行われた[2]。純粋な輸送潜水艦として建造するために、人員搭載をやめ、物資搭載量は艦内125トン、艦外20トンと変更された。更に警戒が厳重な沿岸地域への輸送を行うため、艦橋下部にV字型の傾斜をつけて敵からのレーダー探知を防ぐ形となった。加えて水中航続力増加の要求から電池の増設が行われ、水中行動能力が3ノットで40時間と日本の潜水艦の中でも最長クラスとなった。しかし輸送スペースを電池の増設スペースへと転用したため、艦内搭載量は65トンとなった[2]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:50 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef