.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Microsoftコードページ932(はしご高))が含まれています(詳細)。
任天堂株式会社
Nintendo Co., Ltd.
任天堂本社
種類株式会社[1]
機関設計監査等委員会設置会社[2]
市場情報東証プライム 7974
任天堂株式会社(にんてんどう、英: Nintendo Co., Ltd.[9])は、日本の代表的なグローバル企業の一社であり[10][11]、主に玩具やコンピュータゲームの開発・製造・販売を行っている。本社所在地は京都府京都市南区。TOPIX Core30およびJPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ[12][13]。 1889年に創業した老舗企業で、娯楽に関するさまざまな事業を展開している。創業以来、多くの種類の玩具を製作しており、特に花札やトランプは、創業初期から現在に至るまで製造、販売を続けている[14]。 1970年代後期に家庭用と業務用のコンピュータゲーム機の開発を開始した。1983年発売の据え置き型ゲーム機「ファミリーコンピュータ」のゲームソフトとして1985年に発売した『スーパーマリオブラザーズ』が世界的にヒットしたことでゲーム機やゲームソフトを開発する会社として広く認知されるようになった。スウェーデンのハッランド県にあるマリオの像。 『スーパーマリオブラザーズ』(マリオシリーズ)の主人公「マリオ」など、任天堂のゲームソフトに登場するキャラクターは世界的に認知されているものが多く、2010年代からはキャラクターIPのゲーム外での活用を進めている。 当時は会社の形態ではないが便宜上「社長」と表記している。
概要
沿革
山内房治郎社長時代(1889年 - 1929年)
1889年9月23日 - 山内房治郎が京都府京都市下京区で任天堂骨牌(山内房治郎商店)を創業。花札の製造を始める[15]。
1902年 - 日本で初めてとなるトランプの製造を開始[15]。
山内積良社長時代(1929年 - 1949年)
1929年 - 任天堂骨牌(山内房治郎商店)2代目店主に山内積良が就任。
1930年 - 本社となる鉄筋コンクリート4階建てのビルが完成[16]。
1947年11月 - 京都市東山区今熊野東瓦町に株式会社丸福を設立[15][17]。
山内溥社長時代(1949年 - 2002年)
1949年9月 - 代表取締役社長に山内溥が就任[15]。丸福かるた販売株式会社に商号変更[17]。
1950年3月 - 任天堂かるた株式会社に商号変更[17]。合名会社山内任天堂(現・株式会社山内)よりかるた製造業務を継承[17]。
1951年7月 - 任天堂骨牌株式会社に商号変更[15]。
1952年10月 - 京都府京都市東山区福稲上高松町に工場(現・京都リサーチセンター)を設置[17]。
1953年5月 - 日本初となるプラスチックトランプの製造に成功[15]。1956年より量産開始[18]。
1955年1月 - 季節性需要のトランプ事業に売上不振が重なり、工場の操業短縮と人員削減を計画。これに対し労働組合が6月までストライキを実施[19][20]。
1959年
9月 - 工場のある京都市東山区福稲上高松町に本社を移転[15][17]。
11月 - ウォルト・ディズニー・プロダクションとキャラクターの版権使用契約を結ぶ。翌年に「ディズニートランプ」を発売し、ヒット商品になる。トランプ事業は持ち直し、日本で70%以上の市場シェアを獲得[21]。
1960年 - 「ダイヤ交通株式会社」を設立してタクシー事業に参入。翌年には近江絹糸紡績との共同出資で「日本三旺食品工業株式会社」を設立して加工食品事業に参入。経営多角化を図ったが、後に撤退[22]。
1961年 - 東京都千代田区に東京支店を設置[15]。
1962年1月 - 大阪証券取引所市場第二部、京都証券取引所に株式上場(現在は市場統合)[17]。
1963年10月 - 任天堂株式会社に商号変更[15][17]。
1967年
アメリカの玩具メーカー Milton Bradley
自社開発の玩具「ウルトラハンド」を発売。100万台以上を売り上げるヒット商品となる[24]。以後、玩具の開発に注力する。
1969年 - 電子玩具第1弾「ラブテスター」を発売[22]。
1970年
5月 - 電子玩具「光線銃SP」を発売[25]。
7月1日 - 大阪証券取引所市場第一部に指定[26]。
7月28日 - 週刊文春での山内の発言が玩具業界を侮辱しているとして日本玩具国際見本市協会から謝罪公告を要求されるが、応じず。31日に同協会を脱退[27]。
1971年 - 簡易複写機「コピラス」を発売。10万台以上を出荷するヒット商品になる[28]。
1973年 - 業務用レジャーシステム「レーザークレー射撃システム」を開発[15]。
1975年 - 業務用メダルゲーム機「EVRレース」を開発[29]。
1976年4月23日 - 任天堂レジャーシステムがアミューズメント業界の団体である、全日本遊園協会[注釈 1]へ加入[31]。