任天堂
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任天堂株式会社
Nintendo Co., Ltd.
任天堂本社
種類株式会社[1]
機関設計監査等委員会設置会社[2]
市場情報東証プライム 7974
1983年7月21日上場OTC Pink NTDOYBMV NTDOYNFWB NTOAWBAG NTO
本社所在地 日本
601-8501[3][4]
京都府京都市南区上鳥羽鉾立町11番地1[1]
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度58分11秒 東経135度45分22.3秒 / 北緯34.96972度 東経135.756194度 / 34.96972; 135.756194座標: 北緯34度58分11秒 東経135度45分22.3秒 / 北緯34.96972度 東経135.756194度 / 34.96972; 135.756194
設立1947年(昭和22年)11月20日[4]
(創業:1889年(明治22年)9月23日
業種その他製品[4]
法人番号1130001011420
事業内容家庭用レジャー機器の製造・販売[1]
代表者

代表取締役社長 古川俊太郎

代表取締役フェロー 宮本茂

資本金

100億6500万円
(2023年3月31日現在)[5]
発行済株式総数

12億9869万0000株
(2023年3月31日現在)[5]
売上高

連結: 1兆6016億7700万円

単独: 1兆4095億0300万円
(2023年3月期)[5]
営業利益

連結: 5043億7500万円

単独: 4294億8400万円
(2023年3月期)[5]
経常利益

連結: 6010億7000万円

単独: 6301億7200万円
(2023年3月期)[5]
純利益

連結: 4328億0000万円

単独: 4846億3400万円
(2023年3月期)[5]
純資産

連結: 2兆2664億6600万円

単独: 1兆6038億1500万円
(2023年3月31日現在)[5]
総資産

連結: 2兆8542億8400万円

単独: 2兆0009億6400万円
(2023年3月31日現在)[5]
従業員数

連結: 7,317人

単独: 2,779人
(2023年3月31日現在)[5]
決算期3月31日[6]
会計監査人PwC Japan有限責任監査法人[7]
主要株主

日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 17.05%

ジェーピー モルガン チェース バンク 380815 9.90%

日本カストディ銀行(信託口) 5.97%

京都銀行 4.19%

野村信託銀行(退職給付信託三菱UFJ銀行口) 3.62%

ステート ストリート バンク ウェスト クライアント トリーティー 505234 1.73%

CITYBANK, N.A.-NY, AS DEPOSITARY BANK FOR DEPOSITARY SHARE HOLDERS 1.38%

ジェーピー モルガン チェース バンク 385781 1.20%

SSBTC CLIENT OMNIBUS ACCOUNT 1.19%

ステート ストリート バンク アンド トラスト カンパニー 505223 1.09%

(自己保有株式を除く)

(2023年3月31日現在)[5]

主要部門

技術開発本部

企画制作本部

ビジネス開発本部

開発総務本部

経営統括本部

総務本部[8]

主要子会社詳しくは「連結子会社」を参照
外部リンクwww.nintendo.com/jp/index.html
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任天堂株式会社(にんてんどう、: Nintendo Co., Ltd.[9])は、日本の代表的なグローバル企業の一社であり[10][11]、主に玩具コンピュータゲームの開発・製造・販売を行っている。本社所在地は京都府京都市南区TOPIX Core30およびJPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ[12][13]
概要

1889年に創業した老舗企業で、娯楽に関するさまざまな事業を展開している。創業以来、多くの種類の玩具を製作しており、特に花札トランプは、創業初期から現在に至るまで製造、販売を続けている[14]

1970年代後期に家庭用と業務用のコンピュータゲーム機の開発を開始した。1983年発売の据え置き型ゲーム機ファミリーコンピュータ」のゲームソフトとして1985年に発売した『スーパーマリオブラザーズ』が世界的にヒットしたことでゲーム機やゲームソフトを開発する会社として広く認知されるようになった。スウェーデンハッランド県にあるマリオの像。

『スーパーマリオブラザーズ』(マリオシリーズ)の主人公「マリオ」など、任天堂のゲームソフトに登場するキャラクターは世界的に認知されているものが多く、2010年代からはキャラクターIPのゲーム外での活用を進めている。
沿革
山内房治郎社長時代(1889年 - 1929年)

当時は会社の形態ではないが便宜上「社長」と表記している。

1889年9月23日 -
山内房治郎京都府京都市下京区で任天堂骨牌(山内房治郎商店)を創業。花札の製造を始める[15]

1902年 - 日本で初めてとなるトランプの製造を開始[15]

山内積良社長時代(1929年 - 1949年)

1929年 - 任天堂骨牌(山内房治郎商店)2代目店主に
山内積良が就任。

1930年 - 本社となる鉄筋コンクリート4階建てのビルが完成[16]

1947年11月 - 京都市東山区今熊野東瓦町に株式会社丸福を設立[15][17]

山内溥社長時代(1949年 - 2002年)

1949年9月 - 代表取締役社長に
山内溥が就任[15]。丸福かるた販売株式会社に商号変更[17]

1950年3月 - 任天堂かるた株式会社に商号変更[17]。合名会社山内任天堂(現・株式会社山内)よりかるた製造業務を継承[17]

1951年7月 - 任天堂骨牌株式会社に商号変更[15]

1952年10月 - 京都府京都市東山区福稲上高松町に工場(現・京都リサーチセンター)を設置[17]

1953年5月 - 日本初となるプラスチックトランプの製造に成功[15]。1956年より量産開始[18]

1955年1月 - 季節性需要のトランプ事業に売上不振が重なり、工場の操業短縮と人員削減を計画。これに対し労働組合が6月までストライキを実施[19][20]

1959年

9月 - 工場のある京都市東山区福稲上高松町に本社を移転[15][17]

11月 - ウォルト・ディズニー・プロダクションとキャラクターの版権使用契約を結ぶ。翌年に「ディズニートランプ」を発売し、ヒット商品になる。トランプ事業は持ち直し、日本で70%以上の市場シェアを獲得[21]


1960年 - 「ダイヤ交通株式会社」を設立してタクシー事業に参入。翌年には近江絹糸紡績との共同出資で「日本三旺食品工業株式会社」を設立して加工食品事業に参入。経営多角化を図ったが、後に撤退[22]

1961年 - 東京都千代田区に東京支店を設置[15]

1962年1月 - 大阪証券取引所市場第二部、京都証券取引所に株式上場(現在は市場統合)[17]

1963年10月 - 任天堂株式会社に商号変更[15][17]

1967年

アメリカの玩具メーカー Milton Bradley(英語版) と業務提携し、「ツイスター」などを日本でライセンス生産・販売開始[20][23]

自社開発の玩具「ウルトラハンド」を発売。100万台以上を売り上げるヒット商品となる[24]。以後、玩具の開発に注力する。


1969年 - 電子玩具第1弾「ラブテスター」を発売[22]

1970年

5月 - 電子玩具「光線銃SP」を発売[25]

7月1日 - 大阪証券取引所市場第一部に指定[26]

7月28日 - 週刊文春での山内の発言が玩具業界を侮辱しているとして日本玩具国際見本市協会から謝罪公告を要求されるが、応じず。31日に同協会を脱退[27]


1971年 - 簡易複写機コピラス」を発売。10万台以上を出荷するヒット商品になる[28]

1973年 - 業務用レジャーシステム「レーザークレー射撃システム」を開発[15]

1975年 - 業務用メダルゲーム機「EVRレース」を開発[29]

1976年4月23日 - 任天堂レジャーシステムがアミューズメント業界の団体である、全日本遊園協会[注釈 1]へ加入[31]


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