仲村秀生
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中村秀利」とは別人です。

なかむら しゅうせい
仲村 秀生
プロフィール
本名中村 秀男(なかむら ひでお)[1][2]
愛称秀生さん[3]
性別男性
出身地 日本東京府(現:東京都[4][5]
死没地 日本東京都世田谷区[6]
生年月日 (1935-03-09) 1935年3月9日
没年月日 (2014-07-30) 2014年7月30日(79歳没)
血液型O型[4][7]
職業声優俳優
配偶者あり[8]
公称サイズ(時期不明)[9]
身長 / 体重165 cm / 58 kg

声優活動
活動期間

1959年 - 1990年代

2011年 - 2012年

ジャンルアニメ吹き替えナレーション
デビュー作『ローハイド[10]
俳優活動
活動期間1956年 - 2000年代
ジャンルテレビドラマ映画舞台
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

仲村 秀生(なかむら しゅうせい、1935年昭和10年〉3月9日[5][7][11] - 2014年平成26年〉7月30日[12][13])は、日本声優俳優
来歴

東京府(現:東京都)生まれ[4][5]。両親の郷里・長野県上田市に戦中疎開。長野県上田高等学校を経て、信州大学を卒業[14]

京都の「劇団くるみ座」にて俳優修行を積み、1956年に新劇演出家を目指して上京[15]舞台芸術学院[1]にて演出家・程島武夫の指導を受ける。

1957年3月、下村正夫主宰「新演劇研究所」に入所し[10]スタニスラフスキー・システムを学ぶ。同研究所の発展的解消後、1958年の劇団「新演」の立ち上げに参加[1][16]

同じ劇団に所属していた寺島幹夫が『アンタッチャブル』で吹き替えの仕事をしていたことがきっかけで、1959年に『ローハイド』の吹き替えで声優デビュー[10]

民放テレビ局が続々と開局するに伴い、太平洋テレビ芸能部に在籍しマスコミ出演を始め、1960年には東京俳優生活協同組合創立に参加[17]。以後、劇団解散などの事情もあり、外画、アニメ、CMナレーション・ナレーターなど声の仕事を中心としていった[15]

1969年から放送の『鬼警部アイアンサイド』では、ドン・ギャロウェイ演じるエド役の吹き替えでパイロット版から7年にわたって出演した[10]。アニメでも草創期から声優として活躍し、1967年放送の『スカイヤーズ5』の隼太郎役で初めて主役を演じた[17]

現役時は同人舎プロダクション[10]、新企画[18]ぷろだくしょんバオバブ[7]、黒沢良事務所[2]を経て81プロデュース[9][5]に所属していた。

1990年代後半には劇団魚座を旗揚げして演劇活動に再び打ち込み、東京アナウンス学院代々木アニメーション学院の講師としても後進の育成にも積極的に力を入れるようになり[15]、仲村秀生声優塾を経営していた[19]

一方、私生活ではアルコール依存症躁鬱病を発症し統合失調症妄想性人格障害のような症状も併発させ、闘病生活を送るようになっていた[6]。この影響により1990年代以降は声優活動での持ち役の多くを降板し、70歳を越えてからは事実上の休業状態に入っていた[6]

2011年に旧友が自主制作した記録映画『甦る里山』でナレーションを依頼され、久々の出演作となった[20][21][出典無効]。その後、2012年4月6日ファミリー劇場で放映された『宇宙戦艦ヤマト2199公開記念特別番組?新生ヤマト発進宣言?』でナレーションを担当した。これが仲村の公的な出演作で最晩年の作品となった。

2014年6月に体調を崩して再び療養生活を送るようになり、7月30日に入院先の東京都立松沢病院で入浴中、溺死した[6]。79歳没[14]。仲村の死去が報じられた際には関係者の意向により死因は伏せられ、告別式密葬で行われた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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