仰げば尊し
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「仰げば尊し」のその他の用法については「仰げば尊し (曖昧さ回避)」をご覧ください。

『仰げば尊し』(あおげばとうとし/あふげばたふとし)は、1884年明治17年)に発表された日本唱歌。卒業生が教師に感謝し学校生活を振り返る内容の歌で、特に明治から昭和にかけては学校卒業式で広く歌われ親しまれてきた。ニ長調または変ホ長調が多い(原曲はホ長調)。8分の6拍子で、編曲されたものが何種類か存在する。2007年平成19年)に「日本の歌百選」の1曲に選ばれた。
概要『The Song Echo』の表紙「Song for the Close of School」(141ページ)

明治から昭和、及び平成の初頭にかけては、学校卒業式においてしばしば歌われた定番の曲であり、2020年代の現在でも40代以上の世代を中心として多くの日本人の記憶に残る歌である。その知名度ゆえ日本の映画やドラマにおいてもたびたび用いられており、映画『二十四の瞳』(高峰秀子主演、1954年公開)に見られるように作品の中でも重要な役割を果たすこともある。

一方、1990年代半ば以降の平成期においては、大都市の公立学校(特に小学校)を中心に卒業式の合唱曲を『仰げば尊し』から『旅立ちの日に』、『贈る言葉』、『さくら (森山直太朗の曲)』『夢待列車』(みんなのうた2013年。歌城南海)などその時々の流行曲に変更する学校も散見される。『仰げば尊し』の使用が減った理由としては、歌詞が「いと」「やよ」のような古語を多く含む文語調であるため、特に古文の学習前の小学生にとっては分かりにくいということや、教師を賛美する内容が時代にそぐわないことが背景として挙げられている[1]

戦後、児童文学者藤田圭雄はこの歌詞を現代風にアレンジしたが、あまり普及しなかった。また2番の「身を立て名をあげ」の部分が立身出世を呼びかけていて「民主主義」的ではない[2]という見方から、『仰げば尊し』を歌う学校の中には本来の2番を省略して3番を2番として歌うこともある。この「身を立て名をあげ」という歌詞は、明治時代に盛んに読まれた 『西国立志編』の影響との見方をされる場合があるが[3]加地伸行は『孝経』開宗明義章の「身を立つるには道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕すは、の終なり」を踏んだ歌詞であり、立身出世ではなく、考道を実践し心身の修養を目指す儒教的な道徳を歌ったものと指摘している[3]。一方で、近年中国人歌手のジェイド・イン (Jade Yin) による日本語の曲が評判になったことや、桜井雅人による原曲「Song for the Close of School」の発見により、再評価も生まれている。

また、台湾では現在も卒業式の「定番曲」として『仰げば尊し』の中国語版「青青校樹」が広く使用されており、映画『冬冬の夏休み』では冒頭からこの曲が使われている。台湾には日本統治時代に伝わり、終戦以降も引き続き中国語の歌詞によって使用されている。歌詞は「中華文化高揚」というような民族的・政治的な色彩を加えているものの、日本語の歌詞の影響下で作られたものであり、その歌詞においても関連性が認められる。
歴史

「仰げば尊し」を巡っては、研究者の間でも長い間作者不詳の謎の曲とされてきた。これまで作曲者については、作者不詳のスコットランド民謡説や伊沢修二説などがあったが、いずれも決定的な証拠がなかった。しかし2011年1月に一橋大学名誉教授の桜井雅人が、「Song for the Close of School」という楽曲が、1871年米国で出版された楽譜『The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』[4][5]に収録されていることを突き止めた。その旋律フェルマータの位置は「仰げば尊し」と同一であり、また同書が基本的に初出の歌曲のみを載せていたことから、この楽曲こそが原曲であると推測された(これ以外の収録歌集は現在知られていない)。同書は作曲者を「H. N. D.」、作詞者を「T. H. Brosnan」と記載している。作詞者のブロスナンはその後保険業界で活躍したことが知られているが、作曲者の「H. N. D.」についてはどのような人物であったかは定かではない。「H. N. D.」を『ソング・エコー』の編者ヘンリー・パーキンズ(Henry Southwick Perkins、1833-1914)とする仮説もあるが、確たる証拠はない。

日本には文部省音楽取調掛の伊沢修二らが移植した。正確な経緯は分かっていないが、この歌集が伊沢修二の手元にあったとの記録(手書きの文書)は発見されている[6][7][8][9]。日本語の歌詞は、大槻文彦・里見義・加部厳夫の合議によって作られたと言われている。1884年(明治17年)発行の『小学唱歌集』第3編より収録されたのが、唱歌としての始まりである。

原曲を載せた歌集は日本の図書館等では見つかっていないが、アメリカやイギリスの図書館で少数ながら所在が判明しており、また桜井によって版元の違うものを含めて数冊が収集され、研究が進められている。2014年2月にキング・レコードから発売されたCD『仰げば尊しのすべて』には、桜井を含む研究者による解説が添付され、この曲の過去の経緯や現在の状況が述べられている。翌2015年には、『仰げば尊し――幻の原曲発見と『小学唱歌集』全軌跡』(桜井雅人・ヘルマン=ゴチェフスキ・安田寛共著、東京堂出版)が刊行され、「仰げば尊し」を含む『小学唱歌集』収録曲の全容が判明した。


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