よなが つばさ
代永 翼
プロフィール
本名代永 翼
愛称ヨナー[1]、ウィング[1]、つっくん[1]、美少女[1]、ヨナガッパ[1]
性別男性
出身地 日本・神奈川県[2]、茨城県牛久市[3]
生年月日 (1984-01-15) 1984年1月15日(40歳)
血液型A型[2]
身長163 cm[2]
職業声優
事務所賢プロダクション[4]
配偶者西墻由香(2015年 - )[5]
公式サイトKiramune Official Site | Trignal
声優活動
活動期間2006年 -
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え
デビュー作生徒(OVA『CLUSTER EDGE Secret Episode』)
三橋廉(『おおきく振りかぶって』)[6]
音楽活動
活動期間2012年 -
ジャンルJ-POP
職種歌手
レーベルKiramune
共同作業者Trignal
声優:テンプレート | プロジェクト | カテゴリ
代永 翼(よなが つばさ、1984年[7]1月15日[2] - )は、日本の男性声優。神奈川県出身[2]、茨城県牛久市育ち[3]。賢プロダクション所属[4]。妻は同じく声優の西墻由香[5]。 幼少期はやんちゃであり、幼稚園のお遊戯会や戦隊ヒーローごっこなど、演じることは好きな子供だったという[8][9]。当時は職業としての声優は意識しておらず、映画の吹き替えなどもキャラクター自身が喋っているものだと思っていた[9]。 小学5年の時ほとんど声変わりしなかった[8][9]。高い声をからかわれたり、いじめられたりするようになり、声に対してコンプレックスを持っていることを、歌や芝居や朗読が好きだと知っている担任の教師に相談した際、声優という職業を教えられて声優を目指すようになる[8][9]。 小学生のうちは、新聞に掲載されていた声優募集の広告を調べては、両親に「応募していい?」と聞いていたが、中々一歩を踏み出せなかった[9]。 中学校進学後、少しでも演技の経験を積むために演劇部に入部しようと思っていたが、通った中学校の演劇部は女子部員しかいなかった[9][10]。多感な時期だったため、男子がひとり飛び込んでいって芝居をすることが恥ずかしく、結局入部はしなかった[9][10]。中学1年生時はソフトテニス部、中学2年生でテニスを辞めて科学部、3年は受験もあるため帰宅部だった[9][10]。 中学3年生時には声優専門学校の資料を取り寄せたりもしていたが、進路に繋がる実際の行動には移しはしなかった[9]。 高校1年生の時は、1年目から部活に入部すると学校の外で自由に使える時間が少なくなるため、友人との遊びで高校生活を満喫しようと思っていた[9][10]。当時は周囲に同じようなことをしている人物はおらず、当時から変わり者扱いされていた[9]。声優雑誌のインタビューなどを読んでいたところ、「今の時期にできること、興味があることをやっておいた方がいい。それがのちのち声優になったときに役に立ってくる。芝居の引き出しを増やしてくれる」といったことを言っていた人物が大勢おり、それが心のどこかに残っていた[9]。友人には「演劇をやりたい」と言っており、「そろそろ、演劇部入らないの?」と誘われ、高校演劇には全国大会があり、発表の場があることを知った[10]。「声優目指すなら、そろそろ本気で演劇をやったほうがいいな」と入部を決めて、高校2年の時から演劇部に所属[9][10]。初舞台は、銀行強盗役だった[10]。 ソフトテニス部での息継ぎ、走り込みの経験は、アニメで運動するシーンを演じるときに役立った[9]。「アニメから与えてもらった感動を、早く誰かに返せたらいいな」とも感じていた[9]。同じように高い声でコンプレックスを抱えていたり、いじめられている子が世の中に多数いると感じていたこともあり、その気持ちが強かったと語る[9]。 石田彰、宮田幸季、保志総一朗、関智一などのインタビュー記事を参考にするために追いかけていた[9]。後に賢プロダクションの先輩になる結城比呂も名前を意識していたが、専門学校時代に講義を聞いた時は感動していたという[9]。その時は「声にコンプレックスがあったのか」、「声優になるまでにどんな道を歩まれていたのか」といったことに興味があったが、後者については当初から声優志望の人物もいれば、劇団での活動から声優業に幅を広げた人物もおり、他にも様々なルートがあり、それを知るのが面白く、将来について具体的に考えることにも繋がった[9]。 専門学校 東京メディアアカデミーの声優ボーカル科(現:専門学校 東京声優・国際アカデミーの声優養成科)[10]を卒業後、賢プロダクション付属の声優養成所スクールデュオに6期生として入所[11][12]。
略歴
生い立ち