代替滑走路
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NATO演習「Highway '84」の時にアウトバーン 29に着陸するC-130輸送機

代替滑走路(だいたいかっそうろ)とは、戦争など緊急事態が発生し敵機の襲来などで軍の空港が破壊されて使えなくなったときに、軍用機の離着陸に使用する高速道路や民間の滑走路である。臨時滑走路やハイウェイストリップとも呼ぶ。目次

1 概要

2 各国の運用

2.1 レバノン

2.2 スウェーデン

2.3 ドイツ

2.4 オーストリア

2.5 スイス

2.6 ポーランド

2.7 チェコ

2.8 北朝鮮

2.9 韓国

2.10 中国

2.11 台湾

2.12 日本


3 ギャラリー

4 脚注

5 関連項目

概要

代替滑走路は沖縄県下地島空港のように、普段は民間パイロットの練習用にしか使わない滑走路を軍が臨時徴用して使用するケースが一般的であるが、緊急時は高速道路などの滑走路としての利用価値のある構造物を滑走路として利用することがあり、あらかじめ臨時滑走路として指定しておき地上の構造物を簡単に移動できるものと、事態が起きてから滑走路として整備するものの2通りがある。前者のパターンとしては、韓国水原市などで見られるように通常より幅が広く長い直線の道路[1]を建設して緊急時の滑走路に転用できるようにするものもある。
各国の運用
レバノン

レバノン内戦においては、同空軍のベイルート基地(ベイルート国際空港=現:ラフィク・ハリリ国際空港内に併設)及びラヤク基地(ベッカー高原)が反政府勢力の包囲下にあったため、首都ベイルート郊外の都市・ジュニエに基地機能を移転させ、空軍機を同市を縦貫する高速道路を改造した仮滑走路から発進させた(ただし内戦中において、同空軍の活動は低調であった)。
内戦終結によって空軍基地が正常化したため、この仮滑走路は廃止された。
スウェーデン

スウェーデンでは代替滑走路をvagbasと呼んでいる。スウェーデンは冷戦期に中立政策を取っていたため、敵に先制攻撃を受けて基地の滑走路が破壊されても高速道路を滑走路として戦闘機を運用できるようになっていた[2]。しかし冷戦の終結に加え、高速道路への離着陸対応が、運用するSAAB機の価格を押し上げる要因となってきたことから、2004年にこの運用方式を廃止している[3]
ドイツ

冷戦時にNATOでは、アウトバーンにおける離着陸訓練を演習時に頻繁に行っていた。旧西ドイツの代替滑走路は緊急離着陸場(ドイツ語: Notlandeplatz、略称:NLP)を正式名称としている。緊急離着陸場の区間は、通常コンクリートで舗装され誘導路や駐機場を兼ねる部分も同様である。指定区間の最寄には移動式管制所や移動式レーダーなど必要な器材が保管され、冷戦時代は約24時間以内に稼働できるように準備されていた。また、付近の地形や構造物の高さなどに規制がかかり、周辺の電線路は地下に埋設され、多くの鉄塔は上空への注意喚起のため赤と白のペンキで塗装されている。

路線区間位置滑走長備考
アウトバーン 1ラドベルゲンからレンゲリッヒの間北緯52度10分、東経7度46分2,100m2006年10月に解体
アウトバーン 1フェヒタからディンクラーゲの間北緯52度42分、東経8度22分3,000m解体
アウトバーン 1ディンクラーゲからホルドルフの間北緯52度37分、東経8度8分m解体
アウトバーン 1グレーフェンから北ミュンスターの間北緯52度3分、東経7度37分2,100m
アウトバーン 1南デルメンホルストから北ヴィルデスハウゼンの間 m解体
アウトバーン 1ジッテンゼンからハイデナウの間 m解体
アウトバーン 4オッテンブルク=オクリラからプルスニッツの間北緯49度13分、東経8度58分m1990年に解体
アウトバーン 6キルヒャルトからジンスハイム=シュタインスフルトの間北緯49度13分、東経8度58分m
アウトバーン 6キルヒベルクからクライルスハイムの間北緯49度10分、東経9度58分2,400m
アウトバーン 7タープからシュービーの間北緯54度37分、東経9度26分2,400m
アウトバーン 7ヤーグからオフシュラグの間北緯54度26分、東経9度35分2,000m
アウトバーン 9デッサウからツェルビッヒの間5,000m1950年にレース場として使用される
アウトバーン 10ハーフェラントからファルケンゼーの間北緯52度40分、東経13度0分m
アウトバーン 12シュトルコーからフリーダースドルフの間北緯52度18分、東経13度50分m
アウトバーン 13ルーラントからオルトラントの間北緯51度25分、東経13度49分m2000年から2005年にかけて解体
アウトバーン 14デーベルンからグリンマの間m解体
アウトバーン 15フォルストからバートミューゼルの間2,300m
アウトバーン 19ケッシンからカヴェルシュトルフの間北緯54度2分、東経12度11分3,200mロストック・ジャンクションが完成する2001年まで
アウトバーン 24ノイルピーンからヘルツシュプルングの間北緯53度0分、東経12度35分3,000m2009年に解体
アウトバーン 27ノルトホルツからノイエンヴァルデの間北緯53度43分、東経8度39分2,500m
アウトバーン 27ウートレーデからハーゲンの間北緯53度21分、東経8度35分m2005年に解体
アウトバーン 29グローセンクネテンからアールホルンの間北緯52度54分、東経8度9分2,600m2006年10月から11月にかけて解体
アウトバーン 43ノットウルンから北デュルメンの間北緯51度52分、東経7度20分2,500m解体
アウトバーン 44ビューレンからケゼケの間北緯51度35分、東経8度33分3,200m
アウトバーン 57アルペンからゾンスベックの間北緯51度34分、東経6度25分3,500m
アウトバーン 61メッケンハイムからバート・ノイェンアール=アールヴァイラーの間北緯50度35分、東経7度3分1,900m政府専用掩体壕の一部
アウトバーン 61バート・クロイツナッハからガウ=ビッケルハイムの間北緯49度52分、東経7度57分1,800m
アウトバーン 81オスターブルケンからメックミュールの間北緯49度22分、東経9度26分3,000m
アウトバーン 81オーベルンドルフ・アム・ネッカーからロットヴァイルの間北緯48度15分、東経8度38分3,000m

オーストリア

オーストリアでは、アルプス山脈地域にある高速道路を利用した固定翼機の離着陸訓練を1986年以降は実施していない。多数の簡易滑走区間が整備され、道路の線形は極端なくらいまっすぐに設計されており、複雑なアルプスの山岳地帯において上空からの認識を容易にしている。1999年の雪害では救助用ヘリコプターの離着陸に利用される。
スイス詳細は「スイスの高速道路」を参照

スイスでは多くの区間で約2kmの直線区間が設置され、またガードレールが鋼索で置き換えられるなど代替滑走路としての利用を想定して高速道路が建設された。1970年から1991年にかけては何年かに一度軍事演習が行われていたが、冷戦の終結とスイス軍の再編及び改革のため、1995年に代替滑走路としての利用構想は廃止され、それ以降演習は実施されていない。
ポーランド

ポーランドでは滑走路に転用が可能な道路をDOL(Drogowy odcinek lotniskowy)と呼び、定期的に軍による演習が行われてきた。しかしポーランドのNATO加盟に伴い、運用は縮小傾向にある[3][4]


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