代官山駅
正面口(2022年8月7日)
だいかんやま
Daikan-yama
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代官山駅(だいかんやまえき)は、東京都渋谷区代官山町にある、東急電鉄東横線の駅である。駅番号はTY02。 駅設置当時、東京府豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字代官山に立地していたことから、地名を採ったもの。 相対式ホーム2面2線、橋上駅舎を持つ地上駅であるが、急斜面にあるため、中目黒方の一部はトンネル内にある。 かつてはホームがトンネル(渋谷隧道)と踏切に挟まれた位置にあり、ホーム有効長が短く延伸が困難であり、大形20 m車(8000系など)で5両編成分[2]、18 m車(初代7000系など)でも6両編成分しかなかった。1974年(昭和49年)春からの大形20 m車6両編成の運転開始[2]、1982年(昭和57年)4月1日からの18 m車8両編成の各駅停車運転開始[9](従来は日比谷線直通の各駅停車(東横線内は中目黒 - 日吉間で運転)のみ18 m車8両編成の各駅停車を運転)に伴い、大形20 m車6・7両編成や18 m車8両編成の列車は中目黒寄り1 - 2両のドアを締切(ドアカット)としていた[1][9]。 前述の通り、1986年(昭和61年)4月1日から各駅停車へ大形20 m車8両編成(それまで7両編成)の投入に伴い、本駅は渋谷方へ約300 m移動した位置に仮設駅を設置し、全面的な改良工事に着手した[3]。3年後の1989年(平成元年)3月23日、ホーム延伸に支障していた渋谷2号踏切を廃止、20 m車8両編成に対応したホーム延伸など改良工事が完成し、当駅は従来の位置に戻された[4][1]。 2013年(平成25年)3月16日の東京メトロ副都心線との相互直通運転に対応するため、渋谷駅から当駅まで地下化工事が行われた。地下化に伴い当駅中程から渋谷方にかけて緩やかな下り勾配となった[注釈 1]。このとき、渋谷1号踏切も廃止された。その後、地上の線路跡地では再開発も行われた。 なおこの工事は、市街地であり仮線路の用地確保も困難だったため、すでに目黒駅等の地下化工事で実績を積んでいる仮線を必要としない線路直下地下工法(STRUM工法)で行われた[10][11][12]。この様子はNHKの『ドキュメント72時間』「さよなら渋谷・カマボコ駅舎」(2013年4月12日放送)でも取り上げられた[13][14]。また、この工事完了後、ホームドアおよび優等列車対応通路の設置に伴う工事を実施。停車位置を中目黒寄りに2メートル移動した他、渋谷寄りにホームを2両分延長している(通常は柵で閉鎖)。 番線路線方向行先
歴史
1927年(昭和2年)8月28日:東京横浜電鉄渋谷 - 丸子多摩川間延伸時に開業[1]。
1942年(昭和17年)5月26日:戦時合併により東京横浜電鉄が東京急行電鉄に改組、同社の駅となる。
1974年(昭和49年)4月から5月頃:8000系大形20 m車6両編成の運転開始に伴い、当駅における一部車両のドア非扱いが開始される[2]。
1986年(昭和61年)4月1日:ドア非扱い解消のため、渋谷寄りに仮設駅を設置[3]。同時に旧駅設備の全面的な改良工事が始まる[3]。
1989年(平成元年)
3月23日:当駅のホーム延伸に支障していた渋谷2号踏切を廃止[4]。ホーム延長などの改良工事が完成し、駅を従来の位置に戻す[4]。
11月16日:現在の駅舎が完成、使用開始[5]。同時に自動改札化[5]。
2007年(平成19年)3月18日:ICカード「PASMO」の利用が可能となる[6]。
2013年(平成25年)3月16日:東京メトロ副都心線との相互直通運転に伴い当駅 - 渋谷間が地下化[7][8]。地下化工事が行われる[8]。
駅名の由来
駅構造
のりば
1 東横線下り横浜・元町・中華街・新横浜・二俣川方面[15]
2上り渋谷・池袋・川越市・所沢方面[16]
当駅には東急新横浜線・相鉄線に乗り入れる列車は停車しないため、新横浜・二俣川方面へは途中駅での乗り換えが必要となる。
北口(2010年3月20日)
正面口・西口・東口方面改札(2010年3月20日)
北口改札
(2010年3月20日)
ホーム(2023年4月2日)
切替工事の様子
ホーム(2010年3月20日)
上りホームを通過する急行電車(2010年3月20日)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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