芸人・政治家の「船場太郎」あるいは漫画家の「センバ太郎」とは別人です。
日本の政治家仙波太郎
生年月日1855年6月5日
出生地伊予国久米郡福音寺村
没年月日 (1929-02-19) 1929年2月19日(73歳没)
死没地岐阜県稲葉郡加納町
出身校陸軍大学校
所属政党庚申倶楽部
称号 陸軍中将(日本陸軍)
配偶者仙波タマ
衆議院議員
在任期間1920年5月10日 - 1924年1月31日
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仙波 太郎(せんば たろう、1855年6月5日(安政2年4月21日) - 1929年2月19日(昭和4年2月19日))は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。衆議院議員。 伊予国久米郡福音寺村(現在の愛媛県松山市福音寺町)で仙波元太郎の長男として生まれた[1]。幼名は惣太郎。少年時代は行商をしながら南久米村の三輪田塾で学び、また福沢諭吉の著書から新知識の吸収につとめた[1]。 陸軍教導団を経て、1878年12月、陸軍士官学校(旧2期)を卒業し、翌年2月、歩兵少尉に任官し歩兵第8連隊付となる。1885年12月、陸軍大学校(1期)を優等(三席)で卒業。 参謀本部課僚、同第3局員、参謀本部第2局員、ドイツ留学、歩兵第12連隊大隊長などを経て、日清戦争に第5師団参謀として出征、平壌攻略戦などに参戦した。第5師団参謀、第2師団参謀、陸士教官、第3師団参謀長、第10師団参謀長、第8師団参謀長、歩兵第24連隊長などを歴任。1903年4月、義和団の乱後の清国駐屯軍司令官となり、同年7月、陸軍少将に進級した。 日露戦争中は、満洲軍総司令部と緊密な連絡を取り、清国内部における宣撫工作や情報収集活動(いわゆる諜報活動)に携わった。また、青木宣純大佐(北京公使館附武官)の隷下に、ロシア軍後方における破壊工作を行った特別任務班
経歴
歩兵第31旅団長、歩兵第18旅団長、歩兵第2旅団長などを経て、1910年11月、陸軍中将に昇進。下関要塞司令官、第17師団長、第3師団長、第1師団長を歴任。1916年8月に待命となり、翌年4月、予備役に編入された。シベリア出兵に伴い召集を受け、1918年8月から翌年4月まで留守第12師団
長を務めた。