仙台陸軍幼年学校
[Wikipedia|▼Menu]

大日本帝国陸軍

中央官衙
陸軍省
参謀本部
教育総監部
航空総監部
主要兵力
総軍
方面軍一覧
軍一覧
師団一覧
連隊等一覧
飛行戦隊一覧
歴史・伝統
日本陸軍の歴史
日本陸軍の軍服
その他
階級一覧
兵科・兵種・各部一覧
兵器一覧
通称号
 表示・ノート・編集・履歴 

仙台陸軍幼年学校(せんだいりくぐんようねんがっこう)は、幼少時から幹部将校候補を養成するため1897年宮城県仙台市に設けられた大日本帝国陸軍の全寮制の教育機関(軍学校)である。当初は仙台陸軍地方幼年学校と称した。1924年に一度廃止となり、1937年に復活したが、1945年に廃止になった。

卒業生は陸軍中央幼年学校、のちに陸軍予科士官学校へ進んだ。
目次

1 概要

2 歴代校長

3 著名な出身者

3.1 終戦時に在学中だった生徒


4 脚注

4.1 出典


5 参考文献

6 関連項目

概要

1896年明治29年)5月に陸軍幼年学校条例(明治26年勅令第234号)が廃止され、代わって陸軍中央幼年学校条例(明治29年勅令第212号)及び 陸軍地方幼年学校条例(明治29年勅令第213号)が制定された。これに基づき、東京に陸軍中央幼年学校が置かれ、その下級学校として仙台に仙台陸軍地方幼年学校が設置された。そのほか、東京、名古屋大阪広島熊本にも陸軍地方幼年学校が設立された。

校地は東郊外で陸軍の施設が集中した榴ヶ岡の一角で、現在の住所では五輪一丁目にあたる[1]1898年7月9日、学校は仙台市二十人町通2番ノ2の新築校舎に移転した[2]。生徒数は一学年約50名で、13歳から16歳で入校し3年間の教育が行われた。1910年(明治43年)に教員は36人、生徒は150人いた[3]。学費は陸海軍の士官子息は半額であり、戦死者遺児は免除とされていた。また、制服の襟に金星のマークがつけられたことから「星の生徒」と呼ばれた。卒業生は中央幼年学校に進み2年間の教育を受けた。中央幼年学校卒業後は士官候補生となり、各部隊で下士兵卒の勤務(隊附勤務)を六箇月間ほど務め、陸軍士官学校に進んだ。

1920年大正9年)8月、陸軍幼年学校令(大正9年勅令第237号)が制定され、仙台陸軍幼年学校と改称した。しかし、1922年(大正11年)のワシントン海軍軍縮条約に代表される世界的軍縮傾向のなか、1924年(大正13年)12月15日に廃止となった。跡地には国立の工芸指導所が置かれた[4]

1936年昭和11年)4月、中国での戦局が拡大しつつあるなか広島幼年学校が復活。次いで1937年(昭和12年)4月1日に仙台幼年学校が復活した。校地は仙台の南郊外にある三神峯という丘の上であった。採用生徒数の定員は50名であったが戦時中は増員された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef