仙台港
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仙台塩釜港仙台区
仙台湾上空から西向きに撮影(2013年8月)。写真中央左が仙台塩釜港仙台区(仙台港)、七ヶ浜半島を挟んで、写真右下が同港塩釜区(塩釜港)。.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}仙台港仙台港の位置
所在地
日本
所在地宮城県仙台市宮城野区多賀城市七ヶ浜町
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度16分14.6秒 東経141度01分28.1秒 / 北緯38.270722度 東経141.024472度 / 38.270722; 141.024472座標: 北緯38度16分14.6秒 東経141度01分28.1秒 / 北緯38.270722度 東経141.024472度 / 38.270722; 141.024472
詳細
開港1971年昭和46年)7月
管理者宮城県
種類中核国際港湾国際拠点港湾特定港
埠頭数7
統計
統計年度2006年
貨物取扱量36,942,633トン
コンテナ数2,508,999トン
主要輸出品鋼材、ゴム製品、化学製品
主要輸入品原油LPG
公式サイト ⇒宮城県仙台塩釜港湾事務所
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仙台港(せんだいこう)は、宮城県仙台市宮城野区多賀城市七ヶ浜町にまたがり、太平洋に開けた仙台湾に面して位置する港湾施設の通称。

港湾法上の港湾区域では仙台塩釜港の一部にあたる「仙台塩釜港仙台港区」である[1]。また、港則法上の港区では仙台塩釜港のうち「仙台塩釜港仙台区」にあたる[2]。地元では建設当時の通称「仙台新港」[3]やその略称「新港」とも呼ばれる。

港湾管理者は宮城県。中核国際港湾国際拠点港湾特定港開港出入国港検疫港に指定されている。
概要

仙台港中央公園から見た仙台港・中央航路高砂コンテナターミナルと仙台港のサーフスポット(2009年7月)

港湾法上の港湾区域では仙台塩釜港は「仙台塩釜港仙台港区」「仙台塩釜港塩釜港区」「仙台塩釜港石巻港区」「仙台塩釜港松島港区」の4つからなる[1][4]。このうち「仙台塩釜港仙台港区」の範囲は陸上の港湾施設区域に加えて、花淵灯台がある吠崎(北緯38度17分35.8秒 東経141度5分7.4秒 / 北緯38.293278度 東経141.085389度 / 38.293278; 141.085389 (仙台塩釜港仙台区の北限:吠崎))から七北田川河口(北緯38度15分7.4秒 東経141度0分50秒 / 北緯38.252056度 東経141.01389度 / 38.252056; 141.01389 (仙台塩釜港仙台区の南限:七北田川河口))までの海上沖合いも含まれる[2]

当港は、1964年(昭和39年)の仙台湾地域の新産業都市指定を機に、多賀城海軍工廠(占領期進駐軍「キャンプ・ローパー」[5])の跡地や周辺の低湿地に臨海工業地域を形成する目的で砂浜を掘り込んで建設された。その後、商港としての機能を付加して1971年(昭和46年)に開港した。1991年(平成3年)に国際貿易港として整備計画が決定し、商港としての機能が拡充されていったため、仙台都市圏外港あるいは宮城県および東北地方の物流拠点となっている。

北米やアジア、京浜港などとの間で外内貿定期コンテナ航路を有し、また海上コンテナの鉄道輸送定期貨物路線「よこはま号」でも京浜港と結ばれており、国際海上コンテナの輸送手段として外貿ダイレクト、内航フィーダー、鉄道と3つのモードが揃う国内でも珍しい港湾である。また、東北地方では数少ない40ftコンテナを扱える仙台港駅を有する[注 1]。原油、自動車、重油、液化石油ガスや各種製品を貨物として扱う。2006年(平成18年)の貨物取扱量は3694万2千トンで、入港船舶数は7024隻だった。旅客も取り扱っており名古屋港および苫小牧港との間にフェリーが就航している。

仙台港は、レジャースポットとしても利用されている。北東部にある湊浜緑地公園を中心とする地区では毎年、トライアスロンの国際大会やビーチバレー大会が開かれている。中央航路に面した仙台港中央公園海岸広場には転落防止柵があり、釣り客が見られる。向洋海浜公園前の砂浜は、国内で著名なサーフィンエリアの一覧の1つとなっており、国内プロサーフィン最高峰ツアーである「ジャパン・プロ・サーフィン・ツアー」の中で最も歴史と権威がある「All Japan Pro」が開催された。また、南に隣接する蒲生干潟ではバードウォッチング・潮干狩り・乗馬が盛んであり、日本一低い山である「日和山」もある。
沿革後に仙台港が設置された長浜の1945年(昭和20年)頃の地図。長浜には、多数の潟湖があり、蒲生競馬場もあった。「仙台湾#仙台湾の港の歴史」および「塩釜港#歴史」も参照

歴史的に仙塩地区には内陸都市外港が築かれており、陸奥国府多賀城の外港は国府津千賀ノ浦。現塩竈市)、多賀国府と岩切のそれは湊浜(七北田川・旧河口。現七ヶ浜町)、仙台城城下町のそれは蒲生(七北田川・現河口。仙台市)と塩竈という具合だった。

明治初期に野蒜築港鳴瀬川河口。現東松島市)が台風で設置間も無く廃港となった後、宮城木道が宮城県初の軌道として仙台区と蒲生とを繋ぐと蒲生が一時興隆する。しかし、日本鉄道本線(現JR東北本線)が塩釜港の塩竈駅(後の塩釜埠頭駅。現塩釜駅とは別)まで開通すると、塩釜港が仙台市の外港の地位を得た。

仙台市の砂浜に港を築く計画は岡崎栄松市長が1956年(昭和31年)に市議会でその必要を説いたことに始まる[6]1958年(昭和33年)には東北大学教授の富田芳郎が「仙台港と総合工業地帯建設の構想」を発表して具体的な構想を描いた。富田は、1万トン級の大型貨物船が接岸できる良港がないことが東北地方の工業振興の妨げになっていると考えた。しかし塩釜港を工業港にすると湾内の養殖漁業と観光に悪影響がある。仙台市域の北東隅の長浜海岸の砂浜を掘り込み、南北に防波堤を備える新しい港を建設すれば、多賀城海軍工廠の跡地や低湿地、水田を工業用地にあてることができるので、丘陵に狭められ周辺の市街化が進んだ既存の港を拡張するより優れているというのが富田の意見であった[7]。地図に描かれた港の形こそ異なるものの、基本的な考えと位置は現在の仙台港の原型をなす[8]


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