仙台市都心部
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仙台市都市部の夜景仙台駅西口のペデストリアンデッキ中央通りのクリスロード

仙台市都心部(せんだいしとしんぶ)では、宮城県仙台市都心とされる地域について扱う。
範囲 太白区愛宕山にある愛宕神社から眺めた仙台市中心部の風景(2010年6月6日)。

仙台市の都心に明確な定義はないが、2021年(令和3年)に策定された仙台市の都市計画では「都心地区」の記述がある。具体的な地域として、仙台駅周辺、青葉通り周辺、一番町周辺、勾当台公園周辺、定禅寺通周辺、宮城野通周辺が挙げられ、その他にも国分町の飲食店集積地、東北大学東北学院大学がある高等教育機関の集積地も都心地区に含まれている。これらがある範囲の中において、都心機能強化ゾーンや都市再生緊急整備地域が設定されている。また、都心と密接な関係を持つ区域として青葉山周辺や宮城野原周辺が挙げられている[1][2]
歴史寛文9年(1669年)に描かれた仙台城下町

仙台市の都心部は、江戸時代仙台城の城下町(別称:仙台輪中[3]、仙府。以下、仙台輪中を使用)を基礎に発展してきたが、明治時代の仙台駅の設置、仙台市電の敷設、戦後の復興道路などによる人の流れや交通環境の変化によってその中心部は変化してきた。

江戸時代には、現在の国分町通(旧奥州街道…南北軸)と中央通(旧大町…東西軸)が直交する芭蕉の辻が中心であり、その四隅に同じ構造の楼閣が建てられ、城下一の商業地として賑わった( ⇒明治期の芭蕉の辻の写真)。

明治時代になると芭蕉の辻周辺には銀行などが出来、業務地区化し始めた。このため、物販・サービスについては、国分町通の1本東を南北に並走する東一番丁や、芭蕉の辻より東側の大町沿いが担うようになる。東北本線が開通すると仙台駅前(西口)の名掛丁などに集積が進み、仙台市電開業後は、芭蕉の辻と仙台駅とを結ぶ南町通の業務地区化が進んだ。

1941年に芭蕉の辻の一角に日本銀行仙台支店が置かれた。戦後に復興道路として新規に開通した広幅員の青葉通が、芭蕉の辻と仙台駅を繋ぐ道として金融街・オフィス街として発達した。また、復興道路として広幅員化した東二番丁国道4号)や広瀬通なども次第に業務地区に組み込まれた。

仙台市が政令指定都市化したバブル景気期には、仙台市地下鉄南北線開通により都心部は路線沿いに拡大し、官庁街の勾当台公園周辺地区と都心の業務地区が一体化して、南北に北四番丁駅(勾当台地区北側)から五橋駅五橋地区)までオフィスビルが立ち並ぶようになった。また、ITバブル期と仙石線地下化が重なった2000年前後には、仙台駅東口の宮城野通が「ITアベニュー」と呼ばれ、IT企業を中心に業務機能の集積が進んだ。現在は、一番町と仙台駅西口が2つの極となっているが、旧城下町部分(仙台輪中)を中心に面的に広がりを持って複合都心を形成している。
都市機能
官庁街

江戸時代、仙台藩の事務処理を行う施設は、仙台輪中の西端に位置する仙台城二の丸を中心に、広瀬川の右岸沿い段丘上に集中していた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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