仙台市立片平丁小学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度15分21.8秒 東経140度52分8.49秒 / 北緯38.256056度 東経140.8690250度 / 38.256056; 140.8690250
仙台市立片平丁小学校(せんだいしりつ かたひらちょうしょうがっこう)は、宮城県仙台市青葉区片平一丁目にある公立小学校である。2021年の児童数は541人、19学級、教職員32人[1]。 1873年の創立、1876年から1879年には育才小学校と称した。仙台市都心部に位置し、学区内に仙台高等裁判所、東北大学(片平キャンパス)を抱える。仙台市立五橋中学校の学区域となるため、卒業生の大半が同校に進学する。2023年に創立150周年を迎える。 作詞:土井晩翠・作曲:大槻 貞一 校歌は、1914年(大正3年)3月に制定されたもので、5番まである比較的長いものである。今日歌うには不適切な箇所があるため4番は割愛されることが多い。日常的に歌われるのは1番のみで、運動会等では1から3番までが歌われる。 1868年(明治元年)岡千仭が現所在地に開いた麟経堂(りんけいどう)の流れを汲む[2]。 学制に基づき小学校が設置された1873年(明治6年)に、第7大学区第1中学区第5小学区の小学校として設けられ、教員2人、生徒は男531人、女95人の計626人いた[3]。 1876年(明治9年)に仙台区の小学校が一斉に地名を廃して雅称を校名にしたとき、育才小学校と名付けられた[4]。 1879年(明治12年)に元に戻ってからは「小学校」の部分が制度変化で改められただけである。 1910年(明治43年)には教員15人、児童917人がいた[5]。
概要
校歌
沿革
1873年(明治6年)6月27日 - 五番小学校として創立・開校する。
1874年(明治7年)- (初代)片平丁小学校へ改称する。
1876年(明治9年)4月 - 育才小学校へ改称する。
1879年(明治12年)2月 - 再度(旧)片平丁小学校へ改称する。
1880年(明治13年)- 裁縫科を設置する。
1880年(明治13年)- 川内亀岡支校を開設する。
1884年(明治17年)- 校地を拡張し、現在に至る。
1885年(明治18年) - 南町支校を開設する。
1886年(明治19年)9月 - 片平丁尋常小学校に改称する。(指導教科:修身・読方・作文・習字・算術・唱歌・体操・図画・裁縫)
1899年(明治34年)- 両親参観を開始する。これは仙台市内では初の取り組みである。
1901年(明治34年)- 保護者懇談会を創設する。これは宮城県下初の取り組みである。
1903年(明治36年)- 朝礼会を開始する。
1905年(明治38年)4月 - 片平丁尋常高等小学校に改称し、高等科を併設する。
1908年(明治41年)4月 - 片平丁尋常小学校に改称する。(指導教科:修身・国語・算術・歴史・地理・理科・図画・唱歌・体操・裁縫)
1910年(明治43年)- 校名旗を作成する。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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