仙台市民歌
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

読みが同一の鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)が制定していた「川内市民歌」とは異なります。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 都道府県 > 宮城県 > 仙台市 > 仙台市民歌日本 > 市町村 > 市町村歌 > 仙台市民歌

仙台市民歌

市民歌の対象
仙台市
作詞佐々木青
作曲堀内敬三
採用時期1931年10月
採用終了戦後は公的行事での演奏を取りやめている
言語日本語
テンプレートを表示

「仙台市民歌」(せんだいしみんか)は日本政令指定都市の1市で、宮城県県庁所在地である仙台市市歌。作詞・佐々木青、作曲・堀内敬三
解説

「仙台市民歌」
徳山l / 仙台蔦奴 の シングル
B面伊達小唄
リリース1931年11月
規格SPレコード
ジャンル市民歌新民謡
時間A面:2分59秒[1] / B面:3分17秒[2]
レーベルビクターレコード
作詞・作曲A面‥作詞:佐々木青、作曲:堀内敬三
B面‥作詞:土田廣

テンプレートを表示

作成経緯

1931年昭和6年)が河北新報の創刊35周年に当たることを記念し、同紙の発行元である河北新報社1月17日付の紙面で「仙台市民歌」の歌詞募集広告を掲載する[3]。引き続き3月に掲載された社告において同社が提唱した市民歌の制定意義は、次のようなものであった[4]。東北の誇り、東北の中心、翠深き杜の都は悠々二十万の人口を擁して大仙台建設の途上に立つてゐる(略)われ等の胸は歓びの歌声で高鳴つてゐる、此の力、此の希望、此の歓び、われらは今声高らかにうたふ歌がほしい。歌詞は是非とも諸君がうたひ出たる者の中から選ばねばならぬ。 ? 河北新報社 社告(1931年3月)[4]

審査委員には堀内敬三土井晩翠小宮豊隆が迎えられ、入選作の発表後に堀内が作曲を行うことになった[4]。応募総数は約3000篇で、一次審査で44篇を選抜した後に最終候補として9篇が残り、その中から一等の採用作と二等・三等が選定される。曲の完成後、同年7月11日付の河北新報には、歌詞と楽譜を掲載した別刷りの付録が折り込まれた[5]
仙台市への寄贈

10月9日に河北新報社から仙台市へ楽曲が寄贈された際、仙台市役所では11月3日明治節記念式典で参加者の斉唱を行うことを同紙に約束し、前倒しで練習会を開催した[6]10月28日には、仙台市主催の小学校児童体操大会で連坊小路尋常小学校5・6年児童が市民歌の演奏に合わせたマスゲームを披露している[6]

発表音楽会は明治節の後、11月14日に仙台市公会堂(現在の仙台市民会館)で仙台市と河北新報社の主催・宮城県後援により開催された[3]。同月にはビクターレコード(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から徳山lの歌唱でSPレコードが発売されている[1]B面曲は仙台蔦奴が歌う新民謡「伊達小唄」[2][注 1]。また、制定当日より仙台中央放送局(JOHK)が立町尋常小学校児童による斉唱を放送した[6]
制定後

戦前・戦中は盛んに演奏されたが、戦後は1番の歌詞にある「覇権」「大旆」などの表現が軍国主義に繋がるとして忌避され、公的な行事での演奏が自粛されるようになった[5]。そのため、政令指定都市の市歌としては同時期に制定された福岡市歌と同様に市民の認知度が著しく低下しているが、民間のコンサートで演奏されたり広報紙『仙台市政だより』で紹介されるなど折に触れて取り上げられる場合がある[注 2]

1989年平成元年)には市制100周年および政令指定都市移行を記念してダ・カーポが歌唱する「風よ雲よ光よ」が“新仙台市民歌”として制定されているが[7]、同曲への“代替わり”ではなく従来の「仙台市民歌」も存続しているため、現在は新旧2曲の市歌が並立する状態となっている。
歌詞.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}本作の歌詞は著作物の本国においてパブリックドメインであり、アメリカ合衆国においてもウルグアイ・ラウンド協定法の対象外です。

歌詞は著作権保護期間満了。一、.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}()青葉山(あおばやま) 雲(くも) 湧(わ)く所(ところ)東奥(とうおう)の 覇権(はけん)は成(な)りて栄光(えいこう)と 威武(いぶ)の大旆(たいはい)高(たか)かりき 五城楼(ごじょうろう)

二、広瀬川(ひろせがわ) 霧(きり)はれ行(ゆ)けば北方(ほっぽう)の 春(はる)はめざめて産業(さんぎょう)と 文化(ぶんか)の都会(みやこ)基(もと) 成(な)りぬ 仙台市(せんだいし)

三、三百(さんびゃく)の 春秋(はるあき)去(さ)りて山河(やまかわ)の 色(いろ)は移(うつ)らず伝統(でんとう)の 血(ち)潮高(しおたか)くも脈(みゃく) 打(う)つよ 我(わ)が胸(むね)に

四、光明(こうみょう)の 時代(じだい)ぞ今(いま)は空青(そらあお)く 望遥(のぞみはる)けし新(あた)らしき 鵬翼(ほうよく)ならせ高(たか)らかに 朗(ほが)らかに

(原文は旧字旧仮名遣い)
作詞者

作詞者の「佐々木青」こと佐々木 精一(ささき せいいち、1897年 - 1934年12月29日[8])は詩人学芸員。号は米青[8]

祖父は黄金山神社社司を務めた書家の佐々木巴渓[8]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:28 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef