仏教とキリスト教
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フランス画家ポール・ランソンの『キリストとブッダ』(1880年)では二人の人物が並置されている。

ガウタマ・ブッダイエス・キリストの間には、そして仏教キリスト教の間には類似点が見いだせるため、両者の間に関係があるかどうかが考察されている。両者間の類似は、ヘレニズム世界とインド亜大陸の文化的交流に起因すると推測されている。
仏教とキリスト教の起源

イスラエルキリスト教が生まれ、原始キリスト教が興隆した時期の500年ほど前に、仏教インドで生まれている。仏教もキリスト教も、今日、起源の地において信者の人数の上では非常に減少している。(→仏教の西域伝播については仏教#部派仏教を参照)
類似点
文化的交流において言及される類似点

プラノ・カルピニウィリアム・ルブルックといった13世紀の国際的な旅行家たちは、仏教の聖典、教義、聖人、禁欲生活、瞑想の実践、また儀式は、キリスト教のそれに匹敵し、そしてまた、ネストリオス派キリスト教の共同体は、伝統的に仏教徒の共同体と非常に近接していたと報告している[1]。16世紀前半にヨーロッパのキリスト教徒が仏教とより直接的に交流するようになると、多くのカトリック宣教師(例えばフランシスコ・ザビエル)が仏教に関する牧歌的な報告を本拠地に送った[1]。しかしながら同時期に、スリランカへのポルトガル人入植者たちが宣教師と全面的に協力し、スリランカ中の仏教徒の財産を没収している[1]。このスリランカにおける仏教抑圧は続くオランダイギリスの統治下でも続いた。ポルトガルの歴史家ディエゴ・デ・コントはヴァティカンにヨサファトは実際にはブッダであることを連想させた[2]

18世紀後半にヨーロッパの大学で仏教の研究が始まり、続いて仏教のテクストが利用可能になると、仏教との適切な邂逅に関する議論が始まった[1]。仏教の教えや慣習が尊重されるようになり、19世紀末には西洋人で初めての仏教への改宗者(例えばサー・エドウィン・アーノルドヘンリー・スティール・オルコット)が現れ、20世紀初めには西洋人で仏教の修道生活を行うもの(例えばチャールズ・ヘンリー・アラン・ベネット(英語版)やニヤーナティロカ(英語版))が現れた[1]

20世紀にトーマス・マートン(英語版)、ウェイン・ティーズデイル(英語版)、デイヴィッド・スタインドル=ラストといった、キリスト教の修道僧やかつての修道女カレン・アームストロング(英語版)[3]プッタタートティク・ナット・ハンダライ・ラマ14世といった仏教の修道僧が宗教間対話に力を注いだ[4]。彼らはそれぞれ、イエスと仏陀の、別の方法の全く異なる教えの中には、病んだ世界に対して深い治療法を与える可能性のある知見と、目的の基本的な共通性を見出している[5][6][7]。仏教とキリスト教の出会いは、数百年かかって20世紀の重要な出来事だと考えられるようになったのではないか、と世界文化史家アーノルド・J・トインビーは推測している[8]
学者に言及されている類似点
19世紀サルコファガスに彫られた初期のキリスト彫刻:エローフランス6世紀:ルーヴル美術館

19世紀に、ヨーロッパの学者たちによるアジアの文化・宗教の研究が始まると、仏教とキリスト教の間に見出せる類似点に注意が向けられた。

歴史家のジョージ・スタンリーは彼の著書『The Origin of Pagan Idolatry Ascertained from Historical Testimony』において以下のように述べている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}イエスとブッダの間には強い類似点があり、ただの偶然としてはあり得ない[9]

トマス・トウィードは1879年から1907年にかけて「様々な定期刊行物の中で[…]仏教とキリスト教の相似点や、あり得る歴史的な影響に関するたくさんの情熱的な議論」があったと言及している[要出典]。

1883年に、東洋学と比較宗教学の草分けであるマックス・ミュラーがこう力説している:仏教とキリスト教が驚くほど一致していることは否定できない。そして、同様に仏教がキリスト教より少なくとも400年以上前に存在していたことも認められるに違いない。さらに、仏教が初期キリスト教に影響を与えた歴史的経路を誰かが私に教えてくれれば、私はきっと非常に感謝するだろう[10]

ミュラー自身は、イエスの教えが仏教の経典に優先することを示そうとしたと述べている。しかし、ミュラーは著書の中で反キリスト教的な動機を持っていたとしばしば批判されており、このことが先入観のない研究よりも、むしろ彼の隠れた意図を浮き彫りにしている推測される[11]

19世紀終わりには、ルドルフ・ザイデルが仏教とキリスト教の寓話と教えの中に50の類似点を見出している[12][13]

1918年、エドワード・ウォッシュバーン・ホプキンスは以下のようにさえ言っている。「結局、イエスの生涯、誘惑、奇跡、寓話、そして弟子までもが直接に仏教に由来するのだ[14]。」

20世紀初めには、仏教に対する関心は幾分か衰えた。アルベルト・シュヴァイツァーの出した結論は人々に好まれてきたようである:広範な文化を通じての何らかの間接的な影響は 本質的にありえなくはないが、[イエスの新しい思想が仏教からの直接的な借り物だという仮説は]証明されていなし、証明不可能であるし、とても考えられない[15]
近年の研究

近年の研究でも、仏教とキリスト教の間に見出せる類似点が指摘されている。

仏教からキリスト教が相当量の借り物をした、とザカリアス・P・サンディは結論付けている。彼はイエスを、ユダヤ人とも仏教徒とも、またユダヤ人仏教徒ともレッテルをはるのを好まず、そういった区別は「曖昧だ」と主張している。サンディはさらに、東西交流の長い歴史があったことを主張し、イソップ寓話のような西洋の寓話とダニエル書に付属しているスザンナの物語は、もともと仏教のジャータカであったことを示している[16]
ブッダとイエスの相似詳細は「ブッダとイエスの相似」を参照
福音書

ブルクハルト・シェーラーは以下のように述べた:[…]福音書に対する仏教の強い影響に注意することが重要である[…]数百年以上前から、仏教の福音書に対する影響が知られ、両宗教の学者によって認められてきた[17]

彼はジョン・ダンカン・マーティン・デレットの研究『The Bible and the Buddhist』[18]の結論に同意し、「私は多くの仏教説話が福音書に含まれていることを確信した[17]」と書いている。

クリスチャン・リントナーは、パーリ語仏典およびサンスクリット仏典をギリシア語の福音書と比較し、四つの福音書はゲマトリアの音価、地口、対応する音節に基づいてより古い仏教経典から改良されたものだと結論した。彼の著作を精査したものは、ギリシア語とサンスクリットが同語族であるために、彼のゲマトリアの音価や対応する音節は一致し、彼の地口が存在するのだと主張した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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