仏光山
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仏光山
設立1967年 (57年前) (1967)
設立者釈星雲
種類仏教団体
所在地.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

中華民国台湾

高雄市大樹区興田里興田路153号

座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯22度44分51.05秒 東経120度26分45.92秒 / 北緯22.7475139度 東経120.4460889度 / 22.7475139; 120.4460889座標: 北緯22度44分51.05秒 東経120度26分45.92秒 / 北緯22.7475139度 東経120.4460889度 / 22.7475139; 120.4460889
ウェブサイトwww.fgs.org.tw
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仏光山(ぶっこうざん、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: Fo gu?ng sh?n)とは、台湾高雄に本山を置く臨済宗の仏教寺院ならびに仏教団体である。1967年星雲大師によって開山された。壮麗な建築物を抱え、多数の参詣者があることから「台湾最大の仏教聖地」とも呼ばれている[1][2]

慈済功徳会法鼓山中台禅寺とともに「四大道場」と呼ばれており、慈善活動や社会教育活動を通じて仏教思想の社会への浸透を図っている[3]。また、文化や教育、慈善、メディアなどの事業を多角的に経営している[4]
概要仏光山の全景

1967年星雲大師によって開山。宗旨としては、@文化活動を通じた仏法伝道、A社会教育・僧侶教育への注力、B慈善活動による社会福祉への貢献、C巡礼托鉢を全国的に展開し民衆と接触し教化すること、である[5]

星雲大師は「人間仏教」「生活仏教」を掲げて日常生活と仏法を結合し豊かな精神を開拓することを目指し、中国仏教の「世俗から隔絶され、清貧を営む」姿勢を変革することを試みた[6]。台湾全土に加えて海外にも支部を持っており、その数は200前後である。また、国際仏光会と呼ばれる信者の組織を持っており、会員数は100万人を超えているとされる[7]仏陀記念館の外観

中国の四大名山である普陀山峨眉山九華山五台山を模して境内が構成されている。法会が行われる「大雄宝殿」は2000?3000人を収容可能であり、釈迦如来薬師如来阿弥陀如来が奉納されている。中には柱が一本もない構造をしており、壁には1万6000あまりの仏像が祀られている。また、金色の阿弥陀仏は20メートルの高さを誇り、仏光山の顔となっている。それ以外にも極楽浄土に関する展示を行う「浄土洞窟」、仏教の歴史と美術を展示解説する「仏教文物陳列館」、仏教美術の展覧会を行う「仏光緑美術館」、食事処と宿泊所を兼ねる「朝山会館」などの施設がある[8][7]

観音菩薩を本尊とする「大悲院」、地蔵菩薩をまつる「地蔵殿」、文殊菩薩をまつる「文殊殿」、普賢菩薩をまつる「普賢殿」があるため、四大菩薩の道場を一遍にお参りすることができる。

参詣者向けの空間のみならず、仏光山内には仏学院が設置されており、出家者や学生が研究、修行を行っている。僧侶や学生、仕事に従事する人々を合わせると約2000人が仏光山に住んでいる。

慈善活動としては、仏光山慈悲基金会、仏教慈済功徳会、仏教慈恩基金会など100を超える基金会を抱えており、年に数億円を出して社会貢献する基金会も珍しくない[9]

また、幼稚園から大学に至るまでの教育機関を運営しているほか、出版社、書店、衛星テレビ局、メディア制作、書店、飲食店、社会教育施設、博物館、美術館など多角的な経営を行っている。この運営方針は日本仏教をモデルにしているとされる[10]
沿革
星雲大師による仏光山開山まで

星雲大師は1927年に中国江蘇省に生まれた。12歳の時南京棲霞山寺に出家した。棲霞山寺で6年間学ぶと、焦山仏学院に入った。1947年に仏学院を卒業すると臨済宗第48代伝法者となった。しかし、国共内戦のため蒋介石率いる国民党が台湾へ移ると、星雲大師も僧侶救護隊[注釈 1]として台湾へ渡った[11]。渡台後、共産党の工作員と疑われて33日間拘束されたが、孫張清揚の尽力によって釈放される[12]桃園県中?にある円光寺で2年間暮らし、その後の活動の基盤をつくる[13][12]

1952年宜蘭県の李決和による念仏会開催の要請によって宜蘭の雷音寺に勤めるようになる[13][12]。毎週土曜日に念仏会を開催しており、地元の名士などが集まる。集まった人々は役割ごとに責任者を決め、組織化が図られる。同年、宜蘭念仏会を組織し、1956年には雷音寺のすぐ隣に土地を購入し、講堂が落成する[14][13]。星雲大師は台湾における自らのルーツを宜蘭であると語っており、宜蘭での活動が仏光山の始まりとされている[15]

また、宜蘭においては1954年に合唱団「仏教歌詠隊」を組織、1955年に「光華文理補習班」を設置し、年少者に英語や数学の指導を行う[7]。家庭布教、学校布教、監獄布教を行ったほか、1960年ごろには幼稚園、学生会、児童会が成立し教育活動も開始、仏光山の布教活動の基礎が作られた[14]。この時期には子供を対象とした日曜学校である「星期学校」[注釈 2]や、大学生を対象とした夏期研修会を行っていた。若年層に布教のターゲットを絞った背景には、当時の台湾には仏教への関心や出家者への尊厳が無く、特に中年以上は偏見を強く持っていたためである[6][15]

星雲大師は宜蘭の雷音寺での活動に加えて、高雄にも幾度なく訪れて説法を行っており、高雄仏教堂、寿山寺などを建て、1965年には寿山仏教学院を作った。1967年に高雄県大樹郷の広大な土地に仏光山を開山した[13]。開山当初は竹藪が生い茂る荒れ果てた野山であったという[3][9]
仏光山開山以降

仏光山の支部は1980年代に増加し、1990年代に増加のピークを迎える。1990年に中華仏光総会が発足すると、その翌月にはロサンゼルス西来寺でアメリカ地区の仏光会が設立。1991年には国際仏光会が設立され、これを契機に海外への進出が進んだ。国際仏光会はアジア南北アメリカヨーロッパオーストラリアアフリカの5つの区分がなされており、日本韓国アメリカイギリスフランスなど31か国に支部を持つ[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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