今東光
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.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}今 東光 / 春聽(こん とうこう しゅんちょう)
中央公論社『週刊公論』3月1日号(1960)より
誕生 (1898-03-26) 1898年3月26日
神奈川県横浜市
死没 (1977-09-19) 1977年9月19日(79歳没)
日本 千葉県四街道市
墓地台東区寛永寺第三霊園
職業僧侶小説家政治家
最終学歴兵庫県立豊岡中学校
主な受賞歴直木三十五賞(1957年)
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今 東光(こん とうこう、1898年明治31年〉3月26日 - 1977年昭和52年〉9月19日)は、横浜生まれの小説家天台宗大僧正(法名 春聽[注釈 1])、中尊寺貫主参議院議員大正末期に新感覚派の作家として出発。その後出家し、長く文壇を離れたが復帰。住職として住んだ河内平泉、父祖の地、津軽など奥州を題材にした作品で人気を得た。週刊誌やテレビでも活躍し、毒舌和尚としても知られた。

作家・評論家で初代文化庁長官を務めた今日出海(ひでみ)は三弟。儒学者の伊東梅軒は母方の祖父。医師で第8代弘前市長や衆議院議員を務めた伊東重は母方の伯父。国家主義者の伊東六十次郎は従弟。外交官珍田捨巳は父方の遠縁にあたる。
経歴
新進時代

横浜市伊勢町(野毛山伊勢山皇大神宮下)にて代々津軽藩士山奉行家系の父・武平(ぶへい)、母・綾の間の3人兄弟の長男として生まれた。四男 信巳(のぶみ)は早世。しばしば文学史年譜などに「横浜市伊勢崎町生まれ」とあるが、あきらかに間違いで、現在の横浜市中区伊勢町・宮崎町には、日本郵船会社 (NYK) の社宅があった。父武平(明治元 9/4 生)は船長職の最古参で[注釈 2]、国内五港定期航路 品川丸を経て、海外航路 香取丸のキャプテンを務める。四男が生まれた明治40年(1907年)頃、南インド・マドラスに寄港、船の修理で船渠(ドック)入りした折、アディアールで神秘思想に触れ、「神智学協会 The Theosophical Society 霊智学会とも呼称」会員となる。以後「胡桃船長」の異名をとるほどに菜食主義に徹した有数の神智学徒としても知られた。アニー・ベサントジッドゥ・クリシュナムルティと親交を深め、1914年にベサントがクリシュナムルティを救世主として作った、星の教団 The Order of the Star in the East に入会[1]。1916年、来日時のラビンドラナート・タゴールと知遇になったり、第一次世界大戦時に船がドイツの無差別攻撃で巡洋艦エムデンに追われたが、智略によってこれを回避したりした。1920年、東京市本郷区西片町に「神智學協会東京ロッヂ」 を開設、鈴木大拙夫人で神智学者だったベアトリス・レイン(Beatrice Lane)とも交流した。母、綾は、函館・遺愛女学校(遺愛学院)、明治女学校に学んだ才媛で佐藤紅緑サトウハチロー佐藤愛子の父)とは小学校の同級生だった。東光は父の転勤に沿い、幼年・少年期を小樽函館横浜大阪と転じ、10歳より神戸で育つ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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