今川_(杉並区)
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今川
?  町丁  ?
観泉寺
今川今川の位置
座標: 北緯35度42分55.39秒 東経139度36分5.75秒 / 北緯35.7153861度 東経139.6015972度 / 35.7153861; 139.6015972
日本
都道府県 東京都
特別区 杉並区
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計9,547人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号167-0035[2]
市外局番03[3]
ナンバープレート杉並

今川(いまがわ)は、東京都杉並区の地名。現行行政地名は今川一丁目から今川四丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は167-0035[2]
目次

1 地理

2 歴史

2.1 江戸時代

2.2 近代

2.3 現代

2.4 地名の由来


3 世帯数と人口

4 小・中学校の学区

5 交通

6 施設

7 関連項目

8 脚注

9 外部リンク

地理

杉並区北部に位置する。北辺は早稲田通りを境に上井草に、西辺は青梅街道を境に善福寺に、南部は桃井に、東辺は環八通りを境に清水に、それぞれ接している(地名はいずれも杉並区)。東西に長い長方形状の区域で、東から順に一丁目から四丁目までが並んでいる。

町域内は主に住宅地として利用されている。また、今川には中央大学杉並高等学校都立農芸高等学校が置かれている。
歴史
江戸時代「上井草」も参照

江戸時代武蔵国多摩郡上井草村の一部にあたる。

1645年正保2年)、今川直房今川義元の曾孫)に対し、多摩郡井草村(江戸時代初期、上井草村・下井草村に分割)・上鷺宮村(現・中野区上鷺宮一帯)および豊島郡中村(現・練馬区中村一帯)が知行地として与えられた。以後、この地域は幕末まで今川氏の所領であった。今川氏の菩提寺として庇護を受けた観泉寺は、その知行地支配の拠点でもあった。観泉寺境内には今川氏歴代当主の墓所(都旧跡)がある。
近代「井荻町」も参照

1889年明治22年)の町村制施行により、東多摩郡井荻村の一部となった。1896年(明治29年)に東多摩郡は豊多摩郡1926年大正15年)7月1日に井荻村は町制施行して井荻町となる。1932年昭和7年)、豊多摩郡井荻町は東京市に編入され、杉並区の一部となったが、この際、観泉寺周辺に今川町という町名が生まれている。この「今川町」の一部は現在上井草に編入されている。
現代

1964年(昭和39年)9月1日住居表示実施に伴い、現在の今川一丁目から四丁目が編成された。旧地名では、沓掛町・中通町・神戸町・柿ノ木町・四宮町・今川町・三谷町・新町の各一部にあたる。
地名の由来

二丁目にある観泉寺は、江戸時代に当地を治めた高家旗本今川氏ゆかりの寺院で、本堂(1764年明和元年)再建)は杉並区最古の木造建築である。「今川」の地名はこれに因んでいる。
世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]


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