今川泰宏
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今川 泰宏(いまがわ やすひろ、1961年7月24日 - )は、日本アニメーション監督映画監督演出家脚本家放送作家大阪府出身。
来歴
1990年代以前

子供の頃『鉄人28号』と『ガロ』を好む少年だった。中学生の頃、マンネリを感じたためアニメから離れ、『ロッキー・ホラー・ショー』のファンになる。同作の「夢を見ずに、夢になろう」というセリフを座右の銘にした[1]

地元の明星高等学校入学後、『くじらのホセフィーナ』に感動してアニメーターを志し[2]、高校卒業後に上京。タツノコプロ系の新人アニメーター養成機関、タツノコアニメ研究所で研修を受ける。しかし、隣に座っていた飯田史雄の絵を見て自身にアニメーターの適性がないと判断。研修1日目にして演出家への転身を志望し、偶然出会った笹川ひろしに直訴して、笹川ひろし事務所へ参加する[3]。その直後、笹川が演出を務めた手塚治虫の『24時間テレビ』のスペシャルアニメ『ブレーメン4 地獄の中の天使たち』(1981年)の演出補佐としてデビュー。同年『ヤットデタマン』にも参加する[4]。なお、『ヤットデタマン』の劇中には「家具屋の一人息子の今川君」という今川をモデルとしたキャラクターが登場した[5]

笹川ひろしの下で2年ほど絵コンテと演出の勉強をした後[6]1982年の『戦闘メカ ザブングル』よりフリーになる。『戦闘メカ ザブングル』『太陽の牙ダグラム』の絵コンテを経て、『聖戦士ダンバイン』(1983年)で演出家デビュー[6]。頭角を現したのは同作品の37話「ハイパー・ジェリル」で、主人公達の搭乗する巨大ロボットがパイロットのエネルギーが暴走したことが原因で巨大化する現象「ハイパー化」が登場。この表現の発想をしたのはその回の絵コンテと演出を担当した今川である[7][8][9]。今川本人もこの回の演出で注目されたと語っている[6]

以後、日本サンライズ富野由悠季監督作品『重戦機エルガイム』『機動戦士Ζガンダム』の両ロボットアニメで絵コンテと演出を継続し、『Ζガンダム』の途中で降板した。

「これまでメカもの一辺倒だったため、幅を広げたいということ」という理由で、スタジオディーンが実制作を行っていたシンエイ動画藤子不二雄アニメ『プロゴルファー猿』に参加。1985年から1987年に渡って絵コンテと演出を担当し、そのダイナミックな演出が注目を浴びた[10]

『プロゴルファー猿』終了後はサンライズに戻り1987年に料理対決アニメ『ミスター味っ子』の監督に就任、これが監督デビューとなる。当時オリジナル作品が中心であったサンライズで、マンガ原作の監督にレギュラークラスを当てるのを避けた結果、「若手でワケワカラン奴」として白羽の矢が立てられた[11]。『ミスター味っ子』では試食した審査員があまりの美味さに巨大化したり変身したり目から光線を放ったりと豪放で奇天烈な表現を繰り広げた。好評を博し当初半年の放送予定が延長を重ねて[12]、2年間の長期シリーズとなった[13][14]。同作で第6回日本アニメ大賞アトム賞を受賞している。

1980年代後半には西崎義展のウエストケープコーポレーションで『宇宙戦艦ヤマトシリーズ』の新作準備に携わる[15][16][17]。紆余曲折の末、2009年に公開された『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』に今川の名はクレジットされていないが、企画段階にはプロットを提出していた[18]
1990年代?2000年代以前

1992年に自身もファンである横山光輝SF作品のアニメ化を手掛ける。製作に足掛け6年を費やし『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』(1992?1998年)を完成させた。前述の頓挫した『宇宙戦艦ヤマト』の新作の流れから実現した企画であり、今川をはじめとしたメインスタッフは『宇宙戦艦ヤマト』新作のスタッフだった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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