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今川氏
(1243年- 1887年)
今川赤鳥
本姓清和源氏義氏流吉良氏系今川氏
家祖今川国氏
種別武家
士族(1887年絶家)
出身地三河国幡豆郡今川荘
主な根拠地駿河国
遠江国
著名な人物今川了俊
今川範忠
今川義忠
今川氏親
今川氏輝
今川義元
今川氏真
支流、分家品川氏(武家)
堀越氏・瀬名氏(武家)
蒲原氏(武家)
凡例 / Category:日本の氏族
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースに今川記
今川氏(いまがわうじ、いまがわし)は、武家・士族だった日本の氏族。清和源氏足利氏の支流。嫡流は、室町時代に駿河国・遠江国の守護大名となり、戦国時代に駿河・遠江国を支配する戦国大名に転化することに成功し、今川義元の代に三河国も支配して東海地方最大の戦国大名となったが、1560年の桶狭間の戦いで義元が敗死し、以降徳川氏・武田氏・後北条氏などの侵略を受けて衰退した[1]。江戸時代には子孫が高家としてわずかに家名を残し[1]、維新後士族となるも1887年に嫡流は絶家となった[2]。 足利義兼の孫吉良長氏の次男国氏が、三河国幡豆郡今川庄を領して今川と称したことに始まる[3]。今川家は足利一門において名門とされ、足利将軍家の親族としての家格を有し、室町将軍家から御一家として遇された吉良家の分家にあたる。「御所(足利将軍家)が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ」と言われていたように、足利宗家(室町将軍家系統)の血脈が断絶した場合には吉良家は足利宗家と征夷大将軍職の継承権が発生する特別な家柄であったとも伝わる。吉良家からは守護および管領や侍所所司が1人も出ていないのはこのためである(これらの役職は「家臣の仕事」であり、足利宗家の継承権を持つ家の者は管領などに任じられる身分ではなかった)。吉良家の分家である今川家は守護や侍所所司を務めた。軍功により副将軍の称号をゆるされた今川範政の子範忠は、永享の乱の戦功によって室町将軍家から本人とその子孫以外の今川姓の使用を禁じるとする「天下一苗字」の待遇を受けたため、日本各地で栄えていた今川姓も駿河守護家のみとなったと伝えられる。しかし、範忠没後に一時期宗家の地位を争う立場にあった小鹿氏には、その後も万一の際の家督継承の有資格者として今川姓を許されていたとする研究もある[4]。 足利義氏の庶長子として吉良家を興した吉良長氏の次男である国氏が、吉良氏の所領から三河国幡豆郡今川荘(いまがわのしょう、2021年(令和3年)現在の愛知県西尾市今川町周辺)を分与されて本貫とし、今川四郎を称したのに始まる(あるいは国氏は長氏の甥で、養子になったとも言う)。現在、今川町には愛知県によって建てられた今川氏発祥地の石碑がある。 吉良氏・今川氏の祖であった長氏は、足利家惣領を継いだ泰氏の兄にあたることから、吉良氏に次ぐ足利一門として重きをなし、渋川氏・石橋氏とともに「御一家」と称されて別格の扱いを受けたのも、こうした背景があってのことであった。しかし現実には、足利将軍家には多くの別家があり、吉良氏がそうした家系を押しのけ足利本家を継げる可能性は限りなく低かった。
概要
駿河今川家:駿河守護職を代々継承した嫡流。本記事で記述。
遠江今川家:1.の分家で、遠江に所領を与えられた今川貞世(了俊)を祖とする一族。瀬名氏を参照。
肥前今川家:同じく1.の分家で、肥前に所領を与えられた今川仲秋を祖とする一族。持永氏を参照。
家伝
鎌倉時代今川氏発祥地碑(愛知県西尾市)
南北朝時代から室町時代が4人の弟[注釈 1]や子たちを率いて足利尊氏の北朝方に属し、各地で戦功を挙げた。頼国は中先代の乱の際の小夜中山合戦