今宮健太
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今宮 健太福岡ソフトバンクホークス #6
2022年5月7日
基本情報
国籍 日本
出身地大分県別府市
生年月日 (1991-07-15) 1991年7月15日(32歳)
身長
体重173 cm
80 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション遊撃手
プロ入り2009年 ドラフト1位
初出場2011年4月12日
年俸3億円(2024年)[1]
※2023年から2年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


明豊高等学校

福岡ソフトバンクホークス (2010 - )

派遣歴


ブリスベン・バンディッツ (2011 - 2012)

国際大会
代表チーム 日本
プレミア122015年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

獲得メダル
日本
WBSCプレミア12
2015

今宮 健太(いまみや けんた、1991年7月15日 - )は、大分県別府市出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。

史上最年少での通算200犠打、250犠打の達成者。パ・リーグのシーズン最多犠打数を4度記録する送りバントの名手で、2022年シーズン終了時点で現役最多の犠打数を誇る。また史上初めて20代で通算300犠打を達成した[2]
経歴
プロ入り前

明豊中学校時代には第23回全日本少年軟式野球大会にエースとして出場。2007年に入学した明豊高等学校では、1学年下に同じ少年野球チームでプレーしていた山野恭介がいた[3]

1年次から遊撃手としてレギュラーとなる一方で投手も兼任。1年秋には県大会優勝、及び九州大会優勝。1番打者兼エースとして公式戦打率.540、九州大会決勝では沖縄尚学高校に1失点完投勝利など投打の活躍でチーム初の選抜出場に貢献。2年春の選抜に1番・投手(背番号1)で甲子園初出場し1回戦の常葉菊川戦に先発するも敗退。2年秋は県大会優勝、九州大会4強で2年連続の選抜出場を決めた。3年春からは控え投手となり、選抜には3番・三塁手兼投手(背番号5)として出場し1回戦を勝利するも、2回戦で菊池雄星を擁する花巻東(岩手)に敗れた。

夏の県大会では遊撃手(三塁手)兼投手として出場。3打席連続で本塁打を打つなどして春夏連続での甲子園出場を決める。夏の甲子園では3番・遊撃手(三塁手)兼投手(背番号6)として出場。準々決勝まで勝ち進み、春に敗北した花巻東と再び対戦。4回に連打を打たれ降板し三塁へ回ったが、同点とされた直後の9回一死三塁で再び登板し、2者連続三振でピンチを脱すも10回には勝ち越し打を打たれて敗戦[3]

2009年10月29日、プロ野球ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから1位指名を受け、11月8日に仮契約した。背番号は城島健司が退団して以来空き番だった2。
ソフトバンク時代

2011年(2年目)は川ア宗則を上回る守備力と評され[4]、球団では内之倉隆志以来21年ぶりとなる10代での開幕一軍を果たし、開幕戦では守備から途中出場しこれがプロ初出場となった。シーズンの半分以上を一軍に帯同したが出場機会には恵まれず、18試合の出場、1打席に留まった。11月25日のアジアシリーズ統一セブンイレブン・ライオンズ戦で「8番・一塁手」で初先発出場を果たし、その翌日の26日のアジアシリーズ三星ライオンズ戦では3安打、1打点、1盗塁で猛打賞を受賞。オフにはオーストラリアン・ベースボールリーグに参加し、11試合の出場で打率.238、5盗塁を記録した。

2012年、4月28日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、首痛のため3回途中で退いた本多雄一に代わり出場すると、翌29日の同カードでは「8番・遊撃手」でプロ初先発出場、さらに翌30日の同カードでは藤岡貴裕から通算11打席目でプロ初安打・初打点となる適時打を打った[5]。8月4日の対埼玉西武ライオンズ戦では松永浩典からプロ初本塁打を打ち、5日の試合でも武隈祥太から本塁打を打ち、2試合連続本塁打を記録[6]。シーズン途中で本多と松田宣浩が故障で長期離脱した際に、ライバルである明石健志が二塁や三塁の守備に入ったため、今宮は84試合に遊撃手として先発出場。また、明石が遊撃手として先発出場した試合でも38試合で終盤の遊撃守備固めとして出場。

2013年、正遊撃手として142試合に先発出場し、7月14日のオリックス・バファローズ戦ではサヨナラ安打を打った。9月25日のオリックス戦で9回一死一塁の場面で投犠打を決めたことがシーズン59個目の犠打となり、2007年田中賢介が記録したパ・リーグ記録のシーズン58犠打を6年ぶりに更新。最終的には62まで記録を伸ばした。下位を任されていた7月までは打率.235だったが、8月に入り2番打者に定着し、8月は月間打率.362を記録するなど打撃面でも成長を見せた[7]。シーズン後には自身初のゴールデングラブ賞を受賞[8]。オフの11月には台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出[9]

2014年、4月3日の北海道日本ハムファイターズ戦では武田久からサヨナラ安打を打ち[10]、6月12日のセ・パ交流戦中日ドラゴンズ戦では岩瀬仁紀からサヨナラ2点適時二塁打を打った[11]。シーズン成績は前年同様62犠打を記録し、「プロ野球史上初となる2年連続60犠打」を達成した[12]。一方で打撃面は打率.240(規定打席到達者ではリーグワースト3位)、出塁率.295(同ワースト3位)[13]に終わった。ポストシーズンクライマックスシリーズでは打率.136[14]日本シリーズでは打率.188[15]と振るわなかった。オフの10月9日に、日米野球2014の日本代表に選出されたことが発表された[16]。この大会では、5試合で計4打数無安打に終わったが[17]、親善試合では3安打を打った[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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