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今井 雄太郎2009年7月11日 西武ドームにて。
基本情報
国籍 日本
出身地新潟県長岡市
生年月日 (1949-08-04) 1949年8月4日(74歳)
身長
体重177 cm
80 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1970年 ドラフト2位
初出場1971年4月14日
最終出場1991年5月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
中越高等学校
新潟鉄道管理局
阪急ブレーブス
オリックス・ブレーブス (1971 - 1990)
福岡ダイエーホークス (1991)
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今井 雄太郎(いまい ゆうたろう、1949年8月4日 - )は、新潟県長岡市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、タレント。
史上14人目で昭和最後、史上初の指名打者制度での完全試合達成者。 中越高校ではエースとして活躍。1967年夏の甲子園予選北越大会で準決勝に進むが、吉岡悟を打の中軸とする富山商に完封負け。卒業後は新潟鉄道管理局(現:JR東日本新潟支社)に入社。新潟鉄道管理局時代は野球部といっても特別扱いはされず、他の職員と同じように勤務し、今井の仕事は操車場で貨車の連結を行う係であった[1]。1970年日本産業対抗野球大会の国鉄部門予選では決勝に進むが、鹿児島鉄道管理局に敗退。今井によるとこの予選でたまたま好投したため、スカウトの目にとまったのだという。1970年のドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。 “ノミの心臓”と呼ばれるほど気が弱く、また極度のあがり症であったため、二軍では好投するものの一軍ではなかなか結果が出せず、プロ入りから5年間で2勝しか挙げられなかった。初先発した1972年5月18日の対南海戦では、2回の二死満塁からトリプルスチール(三塁走者は野村克也)を決められる経験もしている。 しかし、1974年から投手コーチに就任していた梶本隆夫がその無類の酒好きに目をつけ、1978年5月4日、大阪スタヂアムでの南海戦で紙コップ入りのビールを飲ませてからマウンドにあげたところ、それまでとは別人のような好投を見せた[2]。今井は2019年の新井宏昌との対談で、元は監督の上田利治がコーチ会議で「飲むと陽気になってノビノビしている。試合前に一杯飲ませてみたらどうや」と話しておこなわれたと述べている[3]。
経歴