今中慎二
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今中 慎二基本情報
国籍
日本
出身地大阪府門真市
生年月日 (1971-03-06) 1971年3月6日(53歳)
身長
体重182 cm
73 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り1988年 ドラフト1位
初出場1989年5月26日
最終出場2001年7月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


大阪産業大学高等学校大東校舎

大阪桐蔭高等学校

中日ドラゴンズ (1989 - 2001)

コーチ歴


中日ドラゴンズ (2012 - 2013)

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今中 慎二(いまなか しんじ、1971年3月6日 - )は、大阪府門真市出身の元プロ野球選手投手、左投左打)、野球解説者野球評論家

愛称は、先輩からは「チュー」、同級生からは「イマチュー」と呼ばれる。

現役時代は中日ドラゴンズ一筋でプレーし、最多勝利沢村栄治賞を獲得するなど、1990年代NPBを代表する左腕として活躍した[1]
経歴
アマチュア時代

大阪府門真市古川橋駅周辺で生まれ[2]、3歳年上の兄の影響で浜町小学校2年生の時に野球を始めた[3]。本来は右利きだが、兄が右投げ用のグラブを持って行ってしまい[4]、家のこたつに迷い込んだペルシャ猫を譲った向かいの中年女性から左利き用のグラブをもらって使い始めたことがきっかけで、左投げになった[3]。3年生になると兄と同じ軟式野球チームに入ったが、自ら望んでの入団ではなく、兄が忘れた弁当を届けに行ったところ「明日から練習に来い」と言われての入団であった。4年生からは投手になった[3]門真第一中学に進むと同年設立されたリトルシニアチームである門真シニアに入団し、1年目からエースとなっている[3]。当時から球速があったが、チームの守備力が高くないことなどから大会ではなかなか勝てず、野球を辞めようかとも考えたという[3]

大阪産大高校大東校舎に進学後、入学当初は目立った存在ではなかったが、すぐに見違えるような速球を投げるようになり、同校を訪れた田丸仁(当時、阪神スカウト)からも高評価を受けたという[3]。1年夏の大阪府大会からベンチ入りを果たし、秋の府大会では準々決勝の対PL学園戦に登板した。この試合は0対1で敗れたものの、立浪和義野村弘を擁して翌年に春夏連覇を果たす強豪を相手に1失点に抑え、NPBスカウトらから注目を集めるようになった[3]。2年の冬にはクモ膜下出血で母を亡くし、精神的に大きく落ち込んだが[5]、3年時になると精神的に立ち直り、将来のプロ入りを明確に目指すようになった。

3年生に進級した1988年度より大東校舎は大阪桐蔭高校として独立する。3年夏の大阪府大会では15個の三振を奪いながら延長戦の末に初戦で敗退し[6]、甲子園に出場することはなかった。漫然と大学への進学を予定していたが、145km/hの速球[7]などによって全球団のスカウトが来校[6]するほど高い注目を集めており、1988年度ドラフト会議中日ドラゴンズから1位指名を受けた[8]。担当スカウトは法元英明で、契約金と年俸それぞれ6000万円、480万円(いずれも推定)で入団契約を結んでいる[9]。同期には、バッテリーを組んでいた桐山明佳(1988年に日本ハムファイターズドラフト外で入団)がいる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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