仁科盛家
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仁科 盛家(にしな もりいえ、- 没年不明)は平安時代末期の武将。通称は次郎。

信濃国安曇郡仁科御厨の豪族。治承3年(1179年)「大施主平朝臣盛家」として安曇郡藤尾郷の覚薗寺に千手観音像を寄進した。治承・寿永の乱では源義仲挙兵に参陣し、各地を転戦し入洛にも随行。寿永2年(1183年)の水島の戦いで平氏に敗れ、翌月の法住寺合戦では内裏に近い鳥羽の四至を警固しているが、その後の動向は不明。

正室の佛母尼(大伴氏)は承元4年(1210年)高野山遍照光院に阿弥陀堂を寄進し、仁科氏累代が崇敬した。
関連項目

仁科氏

参考文献

「長野県姓氏歴史人物大辞典」
角川書店 1996年

田中豊茂「信濃中世武家伝」信濃毎日新聞社 2016年

小林茂喜「仁科盛信と武田氏」信州教育出版社、2019年


更新日時:2021年12月15日(水)06:12
取得日時:2022/04/16 14:09


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