仁科亜季子
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にしな あきこ
仁科 亜季子
本名仁科 章子
別名義仁科 明子(旧芸名)
生年月日 (1953-04-03)
1953年4月3日(71歳)
出生地東京都
国籍 日本
血液型AB型
職業女優
ジャンル映画テレビドラマなど
活動期間1972年 ? 1979年
1999年 ?
配偶者松方弘樹1979年 - 1998年
一般男性(2011年 - 2013年
著名な家族花柳壽太郎(祖父)
十代目岩井半四郎(父)[1]
月城彰子(母)
岩井友見(姉)
船戸順(義兄。友見の夫)
仁科幸子(妹)
仁科克基(息子)
仁科仁美(娘)
事務所イマージュエンターテインメント
主な作品
映画
はつ恋
悪魔の手毬唄』テレビドラマ
『白鳥の歌なんか聞えない』
あした天気に
うちのホンカンシリーズ
早春物語
『その人は今・・・』
大都会 闘いの日々
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仁科 亜季子(にしな あきこ、1953年昭和28年〉4月3日 - )は、日本女優である。本名は仁科 章子(読み同じ)[2]。仁科 明子(読み同じ)の名でデビューするも、活動休止を経て、1999年に芸能界復帰の際に芸名を仁科 亜季子へと改名している。東京都目黒区出身[2]。身長158cm。B84cm、W58cm、H86cm(1975年1月)[2]。CINEMACT[3]イマージュエンターテインメント所属。
来歴

学習院女子高等科卒業[1]油絵が好きで、美大に行くつもりだったが[2]、父と雑誌に載ったグラビアを見たNHKのプロデューサーの薦めにより[2]1972年昭和47年)、庄司薫原作のテレビドラマ 『白鳥の歌なんか聞えない』(NHK、銀河ドラマ)出演を機に芸能界デビューした[1]。お嬢様女優として高い人気を得た。しかし1977年、俳優・松方弘樹との不倫騒動により、芸能活動を休止。1978年、松方と先妻との離婚が成立。1979年に結婚し、正式に芸能界を引退。2児をもうけたものの、1998年12月に離婚[4][注 1]

結婚後の1991年には子宮頸がんを発病し、子宮・卵巣・リンパ節を摘出する入院治療を受けた[5]。この際、抗がん剤治療に伴う脱毛に悩まされなるなどの体験をしたことから、その後「子宮頸癌予防ワクチン接種の公費助成推進実行委員会」の発起人を務めた。松方との離婚を契機に1999年春に芸能界へ復帰。その際芸名の漢字表記をそれまでの「明子」から「亜季子」へと改名ししている。

2011年1月に息子の入籍とともに再婚を発表、2月に再婚。

2011年3月に東日本大震災が発生、子宮頸がん・乳がん検診を定期的に受けるよう訴える内容のACジャパンの差し替えCM(後述)が大量に流れたため「時期的にそぐわない」「しつこい」などの抗議が殺到し注目されることとなり「自分ではどうしようもなく困惑している」と娘のブログへ連名でコメントを出す[6][7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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