仁王山
仁王山
標高338.2 m
所在地 韓国ソウル特別市・鐘路区、西大門区
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度35分5.47秒 東経126度57分31.3秒 / 北緯37.5848528度 東経126.958694度 / 37.5848528; 126.958694
仁王山
各種表記
ハングル:???
漢字:仁王山
発音:イナンサン
ローマ字転写:Inwangsan
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仁王山(イナンサン、???)は、大韓民国ソウル特別市の、鐘路区と西大門区にまたがる山[1] で、高さは338.2mである。時代により仁旺山とも表記された。岩山であるために奇岩怪石が威容を競っており、眺望はよい[2]。鄭?による山水画である『仁王霽色圖』 (大韓民国指定国宝第216号) で有名である。 詩人であった尹東柱を記念して作られた公園である。実際に尹東柱は延禧専門学校に在学中に仁王山の付近に住んでいた。公園は紫霞門 李氏朝鮮中期の文臣であった李恒福が暮らしていたところで、弼雲は彼の号である。 ソウル社稷壇、鐘路図書館、培花女子大学、景福高等学校、培花女子高等学校、弼雲台、景福宮、黄鶴亭、鐘路保健所、鞍山、北岳山、松石園
詩人尹東柱の丘
弼雲台
ことわざ
仁王山の陰が江東八十里を行く
ある一人の人物が確固となり勢力が伸長すれば、その恩恵にあずかる者が多くなるという言葉。仁王山が「首陽山」に置き換わるものもある。
仁王山を知らぬ虎がいるか
その方面に属している人たちならば誰でもよく知っている事実を指す言葉。
仁王山のチュンホリ[3] のようだ
腹が膨らんだことを比喩的に言う言葉。
仁王山の水晶を食べて生きても、相舅の飯を食うものか
どんなに大変で苦労をしていても、姻戚の助けを受けてまで生きたくはないことを言う言葉。
逸話・その他
李氏朝鮮の高宗の時分に、テグムの名手だった鄭若大は、仁王山に登ってテグムを吹いたが、1曲終えるたびに木履に砂を1粒ずつ入れ、木履が砂で一杯になると帰っていったという。
安秉範 - 軍人 日本軍時代は亀村貞信と名乗り、大佐として終戦を迎えた。帰国後は韓国軍軍人となる。 1950年6月25日の朝鮮戦争勃発時、北朝鮮軍の急激な進攻によりソウルから脱出できず、6月29日に仁王山で割腹自殺した。死後、准将に追叙される。
伝説
高麗時代に契丹の侵入を退けたことで有名な姜邯賛将軍が若かったころに、この地域に判官として赴任したが、仁王山と北漢山に虎が多く、人々が苦しんでいたという。姜邯賛は老僧に化けていた虎の大将を見いだし怒鳴りつけたところ、虎たちは逃げていったという。
李氏朝鮮時代に朴泰星という人物は高陽郡の父の墓を訪ねたあとに仕事を始めることにしていた。高陽郡にいくには毋岳ジェ
周辺の施設
注釈^ “ ⇒公園紹介、ソウルの公園” (韓国語). ソウル特別市. 2012年6月19日閲覧。
^ グローバル世界大百科事典 『仁王山』の項
^ チュンホリ (???、中‐) は中間で曲の節を変化させて唱う曲の一つ (エッセンス韓日辞典、民衆書林、1983年)。「ホリ」は腰に通じる。