仁木貞長
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仁木 貞長(にき さだなが、生年不明 -
長享
元年(
1487年
))は、
室町時代
後期(
戦国時代
初期)の
武将
。父は成将
。弟に教次。子に
高長
、利長、高将(
義広
?)。
伊勢仁木氏
。
外様衆
、
右馬助
、
伊勢
守護
。通称は次郎四郎。幼名は千代菊。
経歴
文明
13年(
1481年
)と15年(
1483年
)に建誉蔵主との間に借銭訴訟を起こしている。
文明
15年(
1483年
)には
丹後国
の
鹿王院
領の去り渡しを命じられている。
文明
16年(
1484年
)?17年(
1485年
)には
相国寺
領の
丹波国
上林吉忠番について違乱を起している。
長享
元年(
1487年
)、
足利義尚
の
近江親征
で弓場氏と戦って戦死した。その際に被官十二人、雑兵十人が討たれている。また、この戦の前に
細川京兆家
被官の
安富氏
・
上原氏
らが
六角高頼
に味方しているとの風聞がたっていた
[1]
。
参考文献
稲本紀昭
「伊賀国守護と仁木氏(附録、伊賀国守護?仁木氏関係史料)」『三重大学教育学部研究紀要 人文・社会学科』38号(1987年)
脚注
^
『
大乗院寺社雑事記
』
長享
元年(
1487年
)九月二十八日条
関連項目
仁木氏
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