仁川港
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座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度29分 東経126度38分 / 北緯37.483度 東経126.633度 / 37.483; 126.633

仁川広域市略称: Incheon;??;インチョン
時計回りに上から:仁川大橋と市街地の空撮、仁川アジアド主競技場仁川中華街から望む自由公園仁川港月尾島松島新都市仁川国際空港
    仁川広域市旗 / 仁川広域市章
位置
仁川広域市の位置
地図

2018年7月1日、南区が彌鄒忽区に改称された。[1]
各種表記
ハングル:?????
漢字:仁川廣域市
日本語読み仮名:じんせんこういきし
片仮名転写:インチョン=グァンヨクシ
ローマ字転写 (RR):Incheon-Gwangyeoksi
英語表記:Incheon Metropolitan City
統計(2023年
面積:1051.49 km2
総人口:2,997,410[2]
男子人口:1,499,016 人
女子人口:1,498,394 人
人口密度:2,851 人/km2
世帯数:1,350,912 世帯
行政
国: 大韓民国
下位行政区画:8区2郡
ISO 3166-2:KR-28
行政区域分類コード:23
仁川広域市の木:ユリノキ
仁川広域市の花:バラ
仁川広域市の鳥:タンチョウヅル
自治体公式サイト:仁川広域市
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仁川広域市庁1930年頃の地図

仁川広域市(インチョンこういきし、: ?????、: Incheon Metropolitan City)は、大韓民国西北部の市(京畿道地方)。黄海に面した韓国を代表する港湾都市の一つである。沖合には仁川国際空港がある。

人口は約300万人で、広域市に指定されている。ソウル釜山に次いで韓国で3番目の人口を誇るが、ソウル市の衛星都市的な性格が強いため、韓国第三の都市は仁川ではなく大邱とされることが多い。

仁川都心部には富平、九月洞、月尾島などの繁華街がある。郊外の埋立地は韓国最大の経済自由区域である仁川経済自由区域に指定されており、松島新都市、青羅国際都市などの建設が進められている。
概説

首都ソウルから西に40キロに位置する港湾都市であり、内陸にあるソウルの外港として発展した。貿易港として栄え、韓国で唯一の中華街仁川チャイナタウン)がある。中国とのつながりは強く、天津大連青島煙台などの都市とフェリーで結ばれている。1883年に港が開かれたときには人口はわずか4700人あまりで、その当時は済物浦(チェムルポ・さいもっぽ)と呼ばれていた。

ソウルとは首都圏電鉄の各路線で結ばれており、共通の運賃で利用することが出来る。このため、ソウルへの通勤通学客は非常に多く、1つの経済圏を形成している。ソウルのベッドタウンとしての性格が強いため、一般的には「第3の都市」と認識されていない。これは日本横浜市の状況と類似している。かつては京畿道に属していたが、1981年7月に広域市となった。日本の政令指定都市に近い制度である。ソウル都市圏の拡大に合わせ人口は増加を続け、1979年に人口100万人、1992年に200万人、1999年に250万人を突破した。現在は約300万人で安定している。近代都市としての顔を持つ一方、江華郡など広大な農村部も含み、市の面積の21%は水田であり、44%は森林である。

2001年仁川国際空港が開港したことで韓国の空の玄関口となり日本の成田市と同じ位置づけになった。仁川国際空港が属する中区と成田市は1998年友好都市の提携をしている。

2002年日韓ワールドカップに合わせ建設が進められた仁川国際空港は自由貿易地域に指定されており、もう一つの自由貿易地域である釜山鎮海自由貿易地域とともに金融・経済のハブとなるべく外資誘致を積極的に行っている。延寿区松島新都市には韓国版シリコンバレーと呼ばれる情報産業団地も造成中である。

松島新都市に建設予定だった仁川タワーは、151階建て、高さ587メートルとして計画され、完成すれば韓国で最も高い超高層ビルになるはずだったが、2008年の着工直後に、世界金融危機をきっかけとした不動産景気悪化の影響で事実上の建設凍結となった。4兆7千億ウォン[3]が必要な立体複合都市「ルウォンシティ」が計画されたが、これも同様の理由で中止された[4]

2014年には、仁川アジア大会が開催されたが、仁川広域市は莫大な負債を抱えている中で、韓国政府の反対を押し切って誘致したものの、直前まで「開催を返上する」と韓国政府と揉めた経緯がある。

プロ野球チームのSSGランダースプロサッカークラブ仁川ユナイテッドFC、プロバスケットボールチームの仁川電子ランドエレファンツ、プロバレーボールチームの大韓航空ジャンボスなどのプロスポーツチームの本拠地となっている。
歴史

先史時代から人が住み、仁川を始め永宗島・江華島で新石器時代及び青銅器時代の遺跡が発掘されている。 特に江華島の三郎城と塹城壇は古朝鮮とかかわる遺跡である。百済の始祖伝説によれば、仁川は沸流が建国した彌鄒忽の都だった。仁川はもともと百済に属したが、5世紀以降は高句麗統一新羅の領土となり、買召忽と呼ばれていた。

統一新羅の景徳王の時に名称が変更されて仁川は邵城県、富平は長堤郡、江華島は海口郡、甕津郡は鵠島と呼ばれた。高麗時代、仁川は王室と深い関係を結び、慶源郡・仁州・慶源府に昇格した。江華島は940年に県が設置された後、1232年にはモンゴル帝国の侵略に抵抗するため開京の都を移したところである。李氏朝鮮時代、慶源府は1392年に仁州、ついで1413年に仁川郡と改称されて仁川という名前が初めて登場した。海岸の湊は済物浦と呼ばれる。

近代開国期に仁川は丙寅の役・辛未洋擾などで外国艦隊と交戦し、日朝修好条規によって1883年開港したため西欧の文物が仁川港を通じて流入した。1882年には済物浦沖の米軍艦上で米朝修好通商条約が調印された。条約港として発展し、日本統治時代に仁川府(当時の読み方、じんせんふ)が設置され、1949年に仁川府は仁川市と改称した。 1950年9月、国際連合軍仁川上陸作戦を敢行し、朝鮮戦争の戦局を挽回した。

1910年10月1日 - 1910年8月19日の韓国併合の前の仁川府の管轄区域を維持するという総督府令を発表。

1914年4月1日 - 仁川府を分割し、仁川港周辺の区域を新たな仁川府として指定する。農村部は富平郡と合併し、富川郡として編成。

1936年 - 富川郡多朱面・文鶴面の各一部を編入。

1940年4月1日 - 富川郡文鶴面・南洞面・富内面・西串面を編入。これに合わせて町名を設置。
朝鮮総督府令第40号

朝鮮総督府令第40号
旧行政区域 (富川郡)新行政区域 (仁川府)
文鶴面官校里、文鶴里、???、青鶴里、延寿里、東春町、間石里、九月里元町、文鶴町、舞鶴町、青鶴町、延寿町、東春町、木越町、鄭志町
南洞面万寿里、長寿里、雲宴里、西昌里、???、桃山里、???、論?町、古桟町万寿町、長寿町、雲宴町、浪速町、寿町、新桃山町、五宝町、論?町、日向町
富内面十井里、大井里、山谷里、清川里、???、???、後井里、葛月里、馬墳里、???、九山里大島町、昭和町、白馬町、川上町、曙町、東雲町、三笠町、吉野町、明治町、香取町、伊藤町
???、???、鵲田里、???鵲田町
???、??大正町
西串面佳亭里、佳佐里、黔岩里、???、???、公村里、白石里、始川里、新?里、深谷里、連喜里、??千代田町、浅間町、瓜生町、村上町、李家町、黒田町、雲揚町、春日町、玄武町、日進町、井上町、久水町


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