仁井谷 正充(にいたに まさみつ、1950年2月10日 - )は、日本の実業家、ゲームクリエイター。広島県三原市出身[1]。
ペンネームは『MOO仁井谷』。本人曰く、『MOO』は諸行無常の「無」から取っているとのこと。
コンパイル丸創業者で社長。『ぷよぷよ』を開発したコンパイル創業者で代表取締役社長、アイキ代表取締役社長を歴任した。 三原市立三原小学校、三原第三中学校、広島県立三原高校を経て[1]、広島大学理学部に7年間在籍のち1975年中退[1]。大学時代は学生運動に没頭した[1]。学習塾の経営や広島電鉄の車掌など職を転々したのち[1]1982年、広島市南区大須賀町にコンパイルを設立[1]。一人でパソコンのシステムソフトの開発を始め[1]、2年目にセガのOEMの仕事を得る[1]。初めて開発したゲーム用ソフト『N-SUB』が好評で、ビリヤードゲーム『ルナーボール』などヒット作を連発した[1]。 1991年、創業9年目に開発した『ぷよぷよ』が後に大ヒットを果たす[1]。この頃には自らイベントやメディアへたびたび出演、ぷよぷよ模様をあしらったコスプレ衣装などでも話題を呼んだ。1996年1月には写真週刊誌「FLASH」に“アルプスの少女姿”で営業する写真が掲載されるなど、ゲーム業界の名物社長として有名となった。 しかし、その後コンパイルは『ぷよぷよ』に次ぐヒット作が出せなかったことに加え、鳴り物入りで発売されたグループウェア『パワーアクティ』が売れずに失敗。また海浜幕張地区への「ぷよぷよランド」建設構想[2]に、社員の大量採用による人件費・不動産費の増大や過大な宣伝費用の投入など、仁井谷の経営ミスにより経営が圧迫し[3]、1998年に75億円の負債を抱え倒産(和議申請)[4]。その後も倒産を題材に『傷心?きずごころ』でCDデビューも果たすなど話題にはこと欠かなかった。 2002年にはコンパイル二度目の倒産(破産宣告を受ける)。翌年、再建は断念し、有限会社アイキに権利を譲渡すると、コンパイルは解散した。仁井谷自身も約90億円の借金を抱えており[2]、自己破産した。 その後、2002年より有限会社アイキの代表取締役社長に就任するが、2005年よりゲームコンテンツの知的財産権をD4エンタープライズへ譲渡し、2006年に千葉地方裁判所より破産手続開始、2007年に破産廃止となっている。 また、デジタルエンタテインメントアカデミー、代々木アニメーション学院にて講師を務めていた事がある。しかし、2009年にデジタルエンタテインメントアカデミーは閉校、代々木アニメーション学院の講師も同時期に退任。 2006年、元データイースト社員の桑名真吾によって、アイディアファクトリー株式会社の関連子会社としてコンパイルを社名に冠したコンパイルハートが設立され、仁井谷が開発の監修を行う『のーみそコネコネパズル たころん(発表当時の仮題)』が発表された。しかし、同年内にコンパイルハートから仁井谷との関係解消が発表され、同作も『のーコネパズル たころん』へと改題された。 これ以降、仁井谷は業界の表舞台から去っていたが、2011年2月頃からTwitterを始め、旧来のファンに向けて「MOOのツイッター教室」と題したつぶやきを展開するなど、公での活動を再開した。しかし、「MOOのツイッター教室」は2011年4月2日をもって程なく終了している。 2011年4月13日19:00 - 20:00、ネットTV番組『オトナコドモラボ』に出演。 2015年10月22日、テレビ東京「ヨソで言わんとい亭」に出演。2015年現在、千葉県内の家賃5万円、2DKのアパートに住み、アルバイトで生計を立てながら一人でニンテンドー3DS用のゲームソフト『にょきにょき たびだち編
経歴・人物
2016年4月には、同作を発売するための法人として「コンパイル○」(登記上の社名は「コンパイル丸株式会社」)を設立し、代表取締役社長に就任。