人間工学
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自動車関連の人間工学設計テンプレート

人間工学(にんげんこうがく)は、人間が可能な限り自然な動きや状態で使えるように物や環境を設計し、実際のデザインに活かす学問である。また、人々が正しく効率的に動けるように周囲の人的・物的環境を整えて、事故・ミスを可能な限り少なくするための研究を含む。

日本語でいう「人間工学」は、アメリカではヒューマンファクター(Human Factors)、ヨーロッパではエルゴノミクス(Ergonomics)と呼ばれる分野に相当する。
概要

人間工学は、人間が関わる全てのものに影響を与える工学である。人間の物理的な形状や動作などの身体的特徴、生理的な反応や変化などの生理学的側面のみならず、心理的な感情の変化などの心理学的側面に対する探求も含まれる。

また、労働中に発生した事故を検証し、それが使用した器具の単純な設計ミスなのか、それとも人間の認識認知の問題にあるか分析することと、再発をどのようにして防ぐかという問題も、人間工学の分野で研究する範囲にある。

ただし、産業における安全性や事故に対する防止や保全等においては別に安全工学と呼ばれる分野も存在する。詳しくは安全工学を参照されたい。
歴史
人間工学の歴史を振り返る際の留意点

今日の「人間工学」は、医療や看護、安全管理、工学デザイン、環境問題への対応など、さまざまな分野で語られるようになった。こうした動きに支えられて「人間工学」の歴史への関心も芽生え、その「起源」が後から「発見」されることになった。今日、二つの源泉があることがわかっている。ひとつはアメリカ合衆国で1911年にウィンスロップ・タルボットによって造語された"human engineering"の流れであり、いまひとつは19世紀中頃のポーランドの学者Wojciech Jastrz?bowskiの造語になる"ergonomicsの流れである[1]。注意されたいのは、このどちらも今日の「人間工学」の隆盛を前提にして、後から発見されたという事実である。今日の「人間工学」がこれらふたつの思想的源泉から直接的な影響を受けて発展したわけではない。したがって、人間工学の「起源」なり「源流」という言葉を使う場合、どのような意味で使っているのかを自覚する必要があるだろう[2]
アメリカにおける"human engineering"のはじまり

アメリカ合衆国においてはじめて「人間工学」という言葉があらわれたとき、この言葉は、『人間の取り扱いを「科学」にしなければならない』、との労務改革のメッセージとして用いられた。19世紀の後半、モノをあつかう術である機械工学 (mechanical engineering) は驚異的な発展をとげ、アメリカ産業を押し上げる原動力となったが、ヒトをあつかう術はそれに見合うかたちで発展してこなかった、このギャップを埋めるには後者を機械工学に匹敵する「科学」として確立し、専門家の仕事として発展させなければならない。強烈な専門職業イデオロギーに裏付けられたこのような問題意識が、1910年代のはじめに "human engineering という言葉に結晶し、1916年に「人事管理」の代名詞として用いられ、広く知られることとなる[3]

アメリカ合衆国における「人間工学 (human engineering)」の最初の使用例は、ウィンスロップ・タルボット (Winthrop Talbot) によって1911年に創刊された雑誌『人間工学』である。1911年1月、『人間工学』創刊号において、彼は自身の労務改革構想を説明している[4]。そもそも人間工学という言葉は機械工学に対比されるべき「新しい専門職」を表現するために自分が考案したものだと述べている。そしてこの新しい職能を担う企業内の分権化された部署として「人間工学部」を新設すべきだと提案した。この部門は、経営組織内において、「生産、販売、購買、会計監査、輸送、エンジニアリング、研究開発の諸部門」と同等の地位に位置づけられるべきであるとしている[5]

1920年代に、「人間工学」の語は、工学教育や産業心理学[6]の分野で使われていたが、これが "human factor eingineering" として開花するのは第二次大戦後のことである。第二次大戦中、空軍戦闘機のコックピットの設計問題が契機となり、人間の能力に機械や作業環境などを適合させるための研究がすすみ、戦後、機械設計やシステム設計の学として人間工学は成熟することとなる。
日本における「人間工学」の発展

日本における「人間工学」は、基本的にはアメリカの「人間工学」の影響を強く受けているとはいえ、先達が諸外国のさまざまな知識を融合して構成したものである。そのひとり坪内和夫は、その著『人間工学』(日刊工業新聞社, 1961)の中で、日本の人間工学の母体となった動きを6つ指摘している。(1)実験心理学、(2)医学および生理学、(3)広義の作業研究、(4)環境工学、(5)制御工学、(6)インダストリアル・デザイン、がそれである[7]。今日の人間工学にもっともおおきな影響を及ぼしているのは、(3)の系譜を織り込むかたちで生成したインダストリアル・エンジニアリング (industrial engineering; IE) であり、また、歴史的な視点からみれば、(6)はIEの延長線上に生まれたものである。こうした事情のゆえに、今日、日本ではIEの代替語として「人間工学」の語が用いられている。米国の代表的な作品サルヴェンディのIEハンドブック(2001年版)[8]と日本の『人間工学ハンドブック』[9]を見比べると、取りあげられている項目も内容も大幅に重なっている。

これら2つの研究分野が日本で融合し、「人間工学」という名前が付けられた。「人間工学」の言葉自体は、1922年に田中寛一が書籍の題名として使用し[10]、疲労と能率に関する実験的研究結果に関する内容を述べた[11]。1956年に、現在の意味での「人間工学」として、ウエズレイ・E・ウドソンの翻訳書[12]が発刊された。


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