人種主義
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この項目では、人種などを理由にして、差別を行うことの根拠となる思想について説明しています。実際に行われる差別については「人種差別」をご覧ください。
米国ペンシルベニア州の知事選挙のための人種差別的なキャンペーンポスター、1866第二次世界大戦中のアメリカ反日プロパガンダ黒人チンパンジーと同じくらい白人とは異なることを科学的に証明しようとする人種差別的なイラスト、1868

人種主義(じんしゅしゅぎ、英語: racism、レイシズム[注釈 1])とは、人種間に根本的な優劣の差異があり、優等人種が劣等人種を支配するのは当然であるという思想イデオロギー[3]。人種主義は、身体的差異と考えられるものに結びついている点でエスノセントリズムとは異なる[4]
定義

ルース・ベネディクトは「レイシズムとは、エスニック・グループに劣っているものと優れているものがあるというドグマである」と定義している[5]。また『人種主義の歴史』を著したカリン・プリースター(ドイツ語版)は、近代以降の時代において、前近代的構造やヒエラルキーを維持するため、社会的関係を生物学化することで正当化しようとしたものであるとし、欧米における人種主義の開始を1492年のスペインからのユダヤ人追放であるとしている[6]。人種概念はしばしば「国民」や「民族」と混同されていることが指摘されている[7]
人種主義の歴史「人種差別」も参照

人間の集団間に差異にがあるという思想は、古代ギリシャの人々が、自らをヘレネス、他民族をバルバロイと呼んで蔑視していた事例など古くから、洋の東西を問わずに存在している。しかし人種という概念自体が歴史的に普遍的なものであるか、近代の世界中において発生したものであるかということについては議論があり、現在では後者が優勢となっている[6]
貴族主義と博物学

西洋においてこのような思想が理論付けられ始めたのは17世紀ごろのフランスにおいてであり、貴族という特権階級を正当化する目的が最初期の人種主義であった。当時の哲学者、アンリ・ド・ブーランヴィリエ(英語版)はその遺稿『フランス貴族について』において、当時のフランス貴族はフランク人の子孫であり、従って大多数のフランス人とは生物学的特徴(人種)が異なるとして、その優位性を説いた[6]。ブーランヴィリエの議論には「血の純粋性」が強調されるなど、後年の人種主義理論の萌芽と見られる部分が存在する[6]。またフランス人という民族的な帰属意識を、生物学的な特徴で分断するという点に置いて民族主義と人種主義は対立する概念となっている。

デイヴィッド・ヒューム白人以外の黒人黄色人種など他の人種には芸術もなく劣っていると説いた[8]

また18世紀になって博物学が流行し、あらゆる生物の分類が進められるようになると、人間の中にも種があると考えられるようになった。カール・フォン・リンネは人類を4つの種に分類し、その後の学者達もそれぞれに分類を行った[9]。その中の一人ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハは、人類をコーカシアン(白色人種)、モンゴリアン(黄色人種)、エチオピアン(黒色人種)、アメリカン(赤色人種)、マラヤン(褐色人種)の5つの人種に区分した[10]。リンネやブルーメンバッハは白人種を「最も容貌が整った」「創意性や発明の才に富む」などと評価していたが、明確な差自体は理論付けされていなかった[11]。一方で、ウィリアム・ジョーンズによるインド=ヨーロッパ語族の発見は、インドとヨーロッパの人種が同祖であるという「アーリアン学説」を生み出した[12]
人種主義の理論化

アルテュール・ド・ゴビノーはアーリア民族が優れているとの考えに基づき、『諸人種の不平等に関する試論(フランス語版)』を著した。ゴビノーは人種が不平等なのは自明であり、社会構造の問題は人種によって決定づけられるとした。またヨーロッパにおいて貴族が衰退したのは人種の混淆によるものであるとした[11]。ただしゴビノーの主張自体は当時ほとんど注目されず、埋もれた思想であった[11]

イギリスからドイツに移り住んだヒューストン・ステュアート・チェンバレンはゴビノーの見解を天才的と評価したものの、人種は「育種」によって優秀な人種に成長しうるとした点で異なっている。これには当時の優生学の見解も影響している[7]。チェンバレンの著書『19世紀の基礎』はドイツでベストセラーとなり、ヴィルヘルム2世アルフレート・ローゼンベルクアドルフ・ヒトラーらに影響を与えた[13]

白人種の優秀性を唱える思想は、19世紀における帝国主義植民地主義の正当化と容易に結びつき、その思想的支柱となった。アフリカにおいては、「文明程度の劣った植民地に近代文明を伝えることが先進諸国の責務である」といった思想の元に現地住民への一方的な支配や文化の押しつけ、現地資源の開発などが正当化された[14]。この思想はイギリスでは「白人の責務」、フランスでは「文明化の使命」、アメリカでは「マニフェスト・デスティニー」(明白な天命)などと呼ばれていた[15]。一方で、支配された有色人種が白人と対等になれるとは全く考えられていなかった。上記のような非白人へのヨーロッパ文明の「教化」の動きは、現地住民とのさまざまな齟齬や西洋化の遅れによって変質していき、ヨーロッパ人の文明的な「優越性」を現地住民が完全に理解し同化することは不可能であるとする人種差別的な認識が普遍的なものとなった[16]

こうした白人種の優秀性を唱える思想はヨーロッパに広がり、20世紀初頭にはほとんど自明のこととされていた[7]。これには古代から西洋人に受け継がれてきた価値観や、当時台頭してきた進化論の影響が見られる[7]。またこれらは福沢諭吉等の欧化主義者にも伝染し、自発的な白人崇拝・反アジアの動きが生まれた[17]。1919年、日本の提案による国際連盟の規約に人種平等条項を含めるという人種的差別撤廃提案は過半数によって支持されたが、1919年のパリ講和会議では採択されなかった。1945年の国連憲章の第1条には、国連の目的として「人権および人種を区別することなくすべての人の基本的自由の尊重を促進および奨励する」ことが含まれている。ソビエト連邦ヨシフ・スターリンがポーランド人やアジア人に対して行った政策、ハリー・S・トルーマンが下した広島市長崎市への原爆投下の決断、青年トルコ党によるアルメニア人虐殺にも自民族を優位と見なす人種主義があったという指摘がなされている。


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